墨場必携:近代詩 栴檀
26.5.17 東京都清瀬市
「栴檀」 三木露風
せんだんの花のうすむらさき
ほのかなる夕(ゆふべ)のにほひ、
幽(かす)かなる想(おもひ)の空に
あくがれの影をなびかす。
しめり香や、染(そ)みつつきけば
やはらかに忍ぶ音(ね)もあり。
とほつ代のゆめにさゆらぎ
木のすがた、絶えずなげかふ。
ああゆふべ、をぐらく深く、
わがむねをながるるしらべ。
せんだんの花にふるへて、
わがむねをながるるしらべ。
世は闇にはやも満つれど、
たぐひなきあくがれごこち。
消えて身は空になびくか。
せんだんの、あはれなる花のこころよ。
26.5.17 東京都清瀬市
「海から帰る日」(抜粋) 新美南吉
初夏のうらゝかな日の午後、せんだんの枝を見てゐると、私は存在してゐるだらうかと思つた。
そしてせんだんの實がつぶらつぶらとなる頃に、私は一つの木の實を拾つた。
――存在しないと私が思つた時、私は存在しないのだ。
26.5.17 東京都清瀬市