天来書院

天来の会書展


書の原点に還る

天来の会の出版物

天来の会の活動の一つに、書籍の出版があります。
 比田井天来が書いた石碑は、日本全国で20基ほど知られていますが、内容が紹介されることはあまりありません。そこで天来の会では、これらの中から新潟に立つ巨碑『信濃川治水紀功碑』と、最晩年の傑作『瀧本栗林二翁頌徳碑』の二種の拓本を剪装本として複製発行しました。

『信濃川治水紀功碑』
1994年11月19日発行 B4判112ページ
信濃川治水紀功碑
信濃川治水紀功碑
篆額閑院宮載仁親王
撰文水野錬太郎(内務大臣)
比田井鴻(天来)
建碑大正13年3月
建立者内務省
所在地新潟県燕市大河津分水公園内
大きさ高さ7.2メートル
幅2.5メートル
厚さ42センチ
重量石碑20トン(仙台石巻産)
台石50トン(弥彦産)

 越後平野を流れる信濃川は、氾濫すると大きな被害をもたらし、「悪魔の川」と恐れられてきました。明治42年、大河津分水工事が着工され、十八年の歳月と、延べ一千万人以上の労力を注ぎ込み、ようやく完成しました。これを記念して建てられたのがこの「信濃川治水紀功碑」です。高さ7メートルを超える巨碑で、1427字の長文を、ゆるぎない結体と重厚な線質、遠くからでも読める楷書体で書ききった精神力は驚嘆に値します。
 この碑はあまりに巨大なため、発行されることはありませんでした。巨碑のすべての文字を原寸で複製したのは本書が初めてです。
 発行に先立ち、世話人は現地に赴いて石碑と拓本を調査し、当時分水町助役だった藤田正男氏と面会して解説を依頼しました。

信濃川治水紀功碑

・前列左は藤田正男、右は川口霽亭。二列目左から日野楠雄、表立雲(世話人)、比田井和子(事務局)、高橋蒼石(事務局)。三列目左は高市乾外、右は山森木艘。最後列左から佐藤容齋、金子卓義(世話人)、淺沼啓雪、淺沼一道(世話人)、玉村霽山(世話人)。敬称略

信濃川治水紀功碑

・左から高橋蒼石(事務局)、比田井和子(事務局)、金子卓義(世話人)、表立雲(世話人)、淺沼一道(世話人)

『瀧本栗林二翁頌徳碑』
1997年8月26日発行 72ページ
瀧本栗林二翁頌徳碑
瀧本栗林二翁頌徳碑
所在地北海道登別市
登別温泉 湯沢神社前

北海道登別温泉の開発と発展に功労があった瀧本金蔵と栗林五朔の頌徳碑で、碑陽を遠山満が書き、碑陰は額縁状にかたどった中に「瀧本栗林二翁頌徳碑」と題し、高島槐安の文章239字を比田井天来が揮毫しています。書いたのは1938年7月、木簡隷による最晩年の書です。
その左隣に立つのが、登別温泉の発展に寄与した人々の名前を刻した「功労碑」。瑞々しい隷書で陽刻された「功労碑」と、下の「玉川亀吉翁」と「中沢宗治翁」が天来の書、残りの三名は戦後に長谷川遅牛氏が書き加えたものです。
よい拓本がなかったので、新たに採拓し、剪装しました。

111
111
111・功労碑の前で 左から金子卓義(世話人)、玉村霽山(世話人)、淺沼一道(世話人)、比田井和子(事務局)、高橋蒼石(事務局)、淺沼啓雪
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