比田井天来没後80年記念「天来の会書展」(比田井天来と小琴の門流380名による書展)の開催が迫ってきましたので、関係のブログを書いていきたいと思います。

今回は、比田井天来と小琴ならびに書学院同人の作品、20点を展示しますが、「書学院同人」って何? という疑問にお答えしたいと思います。

 

書学院同人のメンバーは、時代によって変化していますので、今回の展示は、1972年に日本橋三越で開催された「天来生誕百年展」に併催された「比田井天来門流展」(書学院同人会・毎日新聞社主催)のポスターによりメンバーを決定しました。

 

天野翠琴・石田栖湖・石橋犀水・上田桑鳩・宇野雪村・大沢雅休・大森萬里・岡部蒼風・沖六鵬・金子鷗亭・桑原江南・桑原翠邦・沢木玉芝・鈴木鳴鐸・武士桑風・手島右卿・徳野大空・原田春琴・比田井小葩・比田井南谷・藤本竹香・村上北海・堀桂琴(敬称略)

 

この中で、上田桑鳩先生・大沢雅休先生・鈴木鳴鐸先生は亡くなっています。

上田桑鳩先生のご門下である宇野雪村先生のお名前があるところを見ると、天来門の同窓会的なものではなく、天来と小琴を顕彰し、その理想を実現していこうとする「同志」として集まった方々であるといえるでしょう。

今回の展示作品は、参加団体の協力をいただけたものに限りました。

 

それではここで、チラシやホームページに載っている墓参写真について、お名前をご紹介しましょう。

 

まずは最前列。敬称略とさせていただきます。

 

左から二人目は松尾謙三(晩翠軒)、天野翠琴、金子鷗亭、手島右卿、桑原翠邦、報国寺住職、比田井南谷、石橋犀水、桑原江南、堀桂琴、沖六鵬。

 

二列目 左から6人目が石田栖湖、2人おいて岡部蒼風、比田井小葩、大森萬里、原田春琴、村上北海。

 

三列目 右端が比田井家当主比田井昭三、右下比田井清美。

 

このときの寄せ書きがあります。

 

さあて、全部読めますか?

 

右上からいきましょう。(村上)北海、その下が(沖)六鵬玄和、上野利友(天来の書生で後書学院出版部勤務)、その左は(藤本)竹香銀。

 

上に戻って(比田井)やす(小葩)、左にちっちゃく(比田井南谷)、下が(桑原)江南通、左下が(手島)右卿、右下が(天野)翠琴、左に(岡部)蒼風(風が寝てます)。

 

上に戻り、(金子)鷗亭、左が(桑原)翠邦、(石田)栖湖、下が(大森)萬里、左が(石橋)犀水啓、(堀)桂琴、左下が(原田)春琴、(松尾)謙三。

 

南谷さん、あんたがまとめなさいよ、ってみんなに言われたのでしょうか。左上です。

 

昭和四十四年三月二十一日 書学院同人十七名参会合作於比田井昭三氏邸 南谷誌

 

どなたが最初に書いたのか、想像すると楽しいですね。私は金子鷗亭先生、桑原翠邦先生、手島右卿先生の順ではないかと思いますが、いかがでしょう。

 

 

この年に、佐久市立天来記念館(当時は望月町立)の計画がもちあがったようです。金子鷗亭先生は次のようにおっしゃっています。(『金子鷗亭の書業』)

 

天来記念館について)

この計画は、昭和44年5月に望月町の町議会で提案されたものなのです。たまたま私ども書学院同人会の人達がその日望月町に行っておったものですから、町議会の人々と懇談することになったんです。そしたらね、町議会としては、総予算1500万円とか1700万円とかで記念館を造りたいという話なんです。そこで私は「せっかくの町議会のご意見だけど、そんな小さなものでは造っても価値を発揮しない。大天来先生の記念館としては問題にならない。少なくとも最低7000万円はかけなくては」といったら、町議会の人達はびっくり仰天しちゃってね、「そんなこと、とてもできません」というわけ。

 

そして、書道界でお金を集めようということになりました。初の書道専門美術館ということで、天来門だけではなく、関東や関西の書壇の方々も協力してくださり、

 

結局、書道界で集まった金は1億2千万円、国の補助金が3千万円、長野県の補助金が2千万円、望月町が千5百万円、それに望月町が中心になって県下の財閥から集めた寄付金を合わせて、かれこれ2億円が集まったんです。つまり、最初の予算の10倍以上になったわけですね。

 

すごいことですね。

先生方のご努力のおかげで、天来記念館には全国から書を愛する方々がいらっしゃってます。そして佐久市の天来生家の裏山に「天来自然公園」が作られ、天来門の方々が書いた看板が町をいろどり、「比田井天来・小琴顕彰 佐久全国臨書展」や「天来祭り」など、「書道のメッカ」として注目されているのです。

 

いい温泉もあります。天来生誕の地へおいでください。

 

 

書道