北魏はモンゴル系の鮮卑族の一首族である拓跋氏によって建てられた王朝で、三代皇帝の太武帝が中国北部の統一を成し遂げました。

異民族の王朝でしたが、漢民族の文化にあこがれ、制度も衣服も漢式に改め、言語も漢語を使うことを国民に強制しました。

 

六代目の孝文帝の時に都を河南省洛陽に移しました。

龍門造像記」が刻されたのはこの後です。

 

そして、北魏の石碑を代表するのが、今回ご紹介する「張猛龍碑」です。

 

張猛龍碑(ちょうもうりょうひ・522年)は、魯郡(現在の山東省曲阜県)の太守(郡の長官)であった張猛龍の頌徳碑で、今も同県の孔廟にあります。

 

張猛龍碑

 

張猛龍碑は古くから評判の高いもので、ほとんどの学者がほめています。

峻抜な書風、けわしくきりたった字形と厳しい用筆は、ほかにその比を見ないほどです。

点画の配置、軽重の配合などの構成が緻密な配慮の下に行われ、渾然たる力が生み出されています。

その筆意は、上の題額に顕著に見て取れます。

 

張猛龍碑

 

上は、この度発行された「シリーズ・書の古典」の新刊です。

とても魅力的な古典ですが、いざ臨書しようとすると、字形が現在の活字とは異なっていて、混乱しますね。

 

例えば最初のページです。

 

 

張猛龍碑

 

欠けた文字が多いですね。左に「骨書」があるので筆路を知ることができますが、巻末の「字形と筆順」を読むと、理解が深まります。

 

まずおさらいです。私たちが親しんでいるのは活字ですが、歴史の中の手書きの文字は、それとは異なる「筆写体」で書かれていました。

 

では「字形と筆順」の一部をご紹介しましょう。まずはオレンジ色で囲った文字。

「氏」 最終画に点一画を付すのは古くから多く見られます。

「族」 「方」を「扌」に作り、右旁上部を「ム」に作り、「矢」を「夫」に作るのは筆写体。

「源」 旁の「日」の上一画を省略するのは筆写体。

 

緑色で囲った文字には筆順が示されています。

 

張猛龍碑 筆順

 

臨書は原本の芸術性を学ぶことも大切ですが、正しい字形を書くことも大切。

点一つが欠けていても誤字になってしまいます。気をつけてくださいね。

 

それでは過去の大家がどのように臨書したかをご覧にいれましょう。

 

比田井天来臨 張猛龍碑

まずは比田井天来です。『学書筌蹄』は古典の全臨集ですが、その中に「張猛龍碑」があります。

厚みのある線で、張猛龍碑独特の字形と強さを示しています。

 

上條信山 張猛龍碑

上條信山先生は「張猛龍碑」と「九成宮醴泉銘」をご自分の書風の基盤としました。切り立った字形の特徴があらわれた独特の臨書です。

 

上田桑鳩 張猛龍碑

上田桑鳩先生の若い頃の臨書。原本に忠実な臨書です。

 

上田桑鳩 張猛龍碑

上田桑鳩先生の晩年の臨書は、筆勢が強調され、力強い味わいが生まれています。

 

桑原翠邦 張猛龍碑

最後は桑原翠邦先生です。少し淡墨で、おおらかでのびのびとした臨書。張猛龍碑の別の側面がうかがえます。

 

 

同じ原本を臨書しながら、別の世界が生まれていますね。

みなさんはどんな臨書をしますか?

 

張猛龍碑

 

 

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