「故郷」への道 その3

マイク.jpg 確保した録音スケジュールまでの、残された時間は長くなかった。たいていは低すぎる調で書かれた曲を自分の声に合わせて移調するのにも時間がかかる。問題のある編曲に手を加える必要もあった。また日本語を解さない共演者や録音エンジニアのためにローマ字歌詞入りの楽譜も貼りあわせて作った。

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一抹の不安をもってピアニストのユリアと初会合して楽譜を渡し、合わせの練習を始めた。私が歌詞内容をドイツ語で説明すると、彼女は熱心にメモしていた。彼女が使える材料はその情報と楽譜のみであり、事前に知っている曲も無い。しかし彼女の奏でる音楽が、日本的情感をしっかりつかんでいるのに、私は驚かされた。すぐれた技量、音楽性というのはこういうものだろう。

 

 

ついにその日がやってきて、私は彼女を乗せて車を走らせた。夜になって遠い、知らない町に到着した。ホールを探し当てたときには、もう録音機材は組み上げられて、マイクが何組も立っていた。

 録音の作業では、私は録音エンジニアのオリヴァー・クルト氏の耳を全面的に信頼した。彼の要求に応じてOKがでるまで繰り返した。もちろん再生を聞いて協議もする。日本語を解さない彼が言葉の発音の問題にいたるまで適切なアドヴァイスを出すことに驚いた。

録音作業は体力・気力を要する戦いであった。ある曲がやっと仕上がると、また力を振り絞って次の曲に向かっていった。いちばんエネルギーが必要なのは、新しい曲ごとに自分の捉えた曲の性格を呼び起こし、どう歌いたいかを頭に命令して、確信をもって歌い始めることだった。こういう場面では絶対に守勢にまわってはならない。

(続く)

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