「故郷」への道 その2

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  ドイツ暮らしと、そこでの演奏活動も長くなった。仕事で歌う曲の歌詞はドイツ語をはじめとするヨーロッパの言葉で、私にとっては外国語だ。

  日本語で歌うこと、日本歌曲を取り上げることについては、関心はあったのだが、ヨーロッパのクラシック音楽の語法に首まで浸かっている私にとって、日本歌曲に取り組むことは気が重いことで、なかなか腰が上がらなかった。

 

 日本歌曲は言葉もメロディーも美しく、情感に富むが、伴奏を含めた曲の構造に奥行きが感じられず、どうしても平板な印象になりやすい。ドイツ歌曲などではピアノ・パートが歌を支えるだけでなく、幅広い表現力を担って、歌とあいまって立体的な音楽を作っていることが多い。もっとも西洋音楽の発想で日本歌曲を裁いて、不足を歎いていても仕方がないだろう。どうやったらその美しさを開花させることができるか、アプローチを工夫することが必要だ。

 

 もうひとつ私をためらわせていたのは、日本語を歌うことへの不安感だった。ふだんドイツ語などのヨーロッパ語で歌ってばかりで、発声法も表現もすべてそれに合わせて調整している。そうやってつけてきた技術や音楽を日本語の歌に適用したらどうなるのだろうか。経験の少ない分野に踏みこむ時の不安感だった。

 

 そうやって逡巡しているときに、前回のブログに書いた、思いがけないかたちで、人前で日本の曲を歌うという出来事が起こったのだった(→その1)

そのころ、停滞しがちの自分の芸術活動を打開しなければ、という思いもあり、その中で考えついた冒険が「日本歌曲の録音」だった。

手をこまねいていても仕方がないので、当時知り合ったフリーの録音エンジニアに相談して、カールスルーエ近くの田舎町にある小さなホールを借りることにした。まったく見通しなしの猪突猛進である。

こうして暗中模索の道のりが始まった。手持ちの楽譜類をひっくり返して、好きな曲、歌えそうな曲を選び出した。そして知り合いにピアニストを紹介してもらったのだが、それがリトアニア出身の女流ピアニスト、ユリア・セルチンスカイテとの出会いであった。

(続く)

 

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