「隊長、詩(私)的に書を語る」は、比田井義信(1953年生まれ・私の弟です)が母、比田井小葩(しょうは・比田井南谷の妻)を回想しながら、小葩の書を語るシリーズです。
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2024年10月14日から「時々南谷」を追加して、父、比田井南谷の作品も紹介しています。

 

 

 

1958年に書かれた南谷の臨書です。
12×31cmという小さなサイズですが、何だかぎゅっと南谷が入っているようなすばらしさですね。

 

1960年代前半は、チーズはまだ6pチーズやプロセスチーズが一般的でした。
父は朝ご飯はアジの開きとお漬物とみそ汁でご飯を食べましたが、仕事や研究、書道のことなどでとても夜遅いのが普通だったので、お昼ごはんと兼用になっていました。
夜は子供たちが終わって食堂にいなくなったころ、昼間に飲み残しておいた大びんのビールの残りを飲んでから、ウイスキーのハイボールを飲んでいました。
角瓶とウイルキンソンのソーダで、指で混ぜて自分の服の脇でピュッと拭いていました。
子供たちのご飯とは別にお刺身なんかを食べ、チーズやサラミなんかをつまみにして、お米は食べませんでした。

 

ある時、父に小さな航空便が届きました。
冬だったのでいつも送っていたクリスマスプレゼントのおせんべいの、お返しのプレゼントだったのでしょう。
開けてみると、サランラップとアルミフォイルに何重にもぐるぐる巻きにされた何だか得体のしれないネバネバドロッとした塊が出てきました。
父が匂いをかいで、うわっチーズが腐ってる!残念、と言いながら捨てようとしたときに、そばにいた母の弟の叔父が、においをかいでしげしげと見ながら、ちょっと待って、それおいしいチーズだよ、なんていうのです。
えっ?と父も匂いを嗅ぎながらおそるおそるほじくってなめてみながら、本当だ、アメリカにはなかったなーなどと言っていましたが、多分ドイツ人の記者の贈り物だったのでしょうか。
そのあと、普通に熟成されたウオッシュチーズが売られるようになったのはだいぶ先の時代だったので、ずいぶん先取りをしてしまったのですね。
でも冬とはいえ一週間ほどもかかって日本に来たチーズはよく検疫に引っかからなかったものだと思います。

 

 

 

今回は比田井南谷の臨書です。
原本は王羲之の叔父、王廙が書いた「祥除表」(淳化閣帖)で、天来書院テキストシリーズ23「王氏一門書集」に掲載されています。

 


南谷の臨書は、南谷らしいにもかかわらず、原本と驚くほどよく似ています。
南谷はいつも、原本の筆意と書者の個性が一体となったものが本当の臨書だと言っていました。
その証拠、ここにあり!

 

そして、そうそう、あのチーズ。
開ける前からあやしい匂いがたちこめていましたが、父が包を開けたとたんに、みんな遠ざかりましたっけ。
いくら叔父が「おいしいチーズだよ」なんて言っても、誰も近寄りませんでした。
ほんとは腐っていたんじゃないの? と、私は今でも思っています。

 

イタリック部分は比田井和子のつぶやきです。