「このりんご」とバター
2025年10月28日
「隊長、詩(私)的に書を語る」は、比田井義信(1953年生まれ・私の弟です)が母、比田井小葩(しょうは・比田井南谷の妻)を回想しながら、小葩の書を語るシリーズです。
比田井小葩のオフィシャルサイトはこちら。
2024年10月14日から「時々南谷」を追加して、比田井南谷の作品も紹介しています。

このりんご
あきのこころ
八木重吉の
このりんご あきのこころ
いかりたる わがこころ
りんごのしづけさを ほしとおもふ
という歌の歌詞の最初の部分です。
この詩も、前回の作品同様に頭の部分だけの言葉だけではわからない感情が隠れている詩で、知っている人だけがにんまりとするのを楽しみに最初だけ書いたのでしょうか。
全部読むと心穏やかではありませんが、作品のころころとした書体のりんごで癒してあげているようです。
祖父が外国航路の船長だったせいか、家には普通にパンとバターがありました。
あの雪印バターです。
1956年とかの時代で、子供たちは普段の朝はご飯でしたが、母の弟と妹の叔父と叔母は、トーストとパーコレーターで入れたコーヒーでした。
幼稚園がない日曜日には、母がトーストやフレンチトーストと卵を作ってくれて、バターがゆっくり解けるのが待ちきれなくてゴシゴシこすりつけていました。
今思い返してみると、晩御飯は洋風のものが多かったようですが、叔父のお嫁さんの叔母が、西洋料理の教室で習ってからお嫁に来たので、コキールとかホイル蒸しや、ムニエルなんかが出ていたのでバターの消費量が多かったのでしょう。
時が流れて、僕が中学生で釣りキチの頃に、例の写真館の息子が毎週の釣りの仲間でした。
真冬の金沢八景の野島の海岸で投げ釣りをするとカレイが釣れると釣り雑誌で読んで、海岸に出掛けさっそく投げ釣り開始です。
でもまだ経済力の無い子供には遠くまで投げる道具もなく、びゅうびゅうと吹き付ける寒風にやられて公園まで戻るとなんと!焼き芋屋さんがいるではないですか。
大きな焼き芋を一本買って、タカシ君と顔を見合わせ、バターだな、、、
近くの食料品店で雪印バター四分の一ポンドを買い、半分に切って片手に焼き芋、片手にバターを交互にかじりながら何だか妙な満足感に浸りました。
その後、大人になってからのおいしい酒と料理を食べ歩く友達になったのは言うまでもありません。
で、最近バターが小さくなりましたよね。
二分の一ポンドなのだから225グラムだったはずが、いつのまにか200グラムになって、ついに180グラム!
150グラムなんかも出だしています。
箱がかわいらしくなっていじいじしてしまいます、、、
でも四分の一ポンドはずっと125グラムなので、どうなんでしょうね。
もうじき二分の一ポンドがなくなるのかなあ、、、でした。
ほんとにバターが好きですね。
なんと、かたいままのバターをかじったですと?
そういえばすき焼きの後、カリカリになった牛の脂身を、父と取り合っていました。
(私も真似してちょこっと食べてみたら気持ち悪くなった)
「このりんご あきのこころ」は、小葩らしいおおらかでかわいい作品。
比田井天来の御曹司と結婚して、たいへんなこともたくさんあったのに、少女のように無垢な心を持ち続けた人でした。
しかも、「天来生誕百年展」なんていうすごいことを企画して、先輩諸先生方を本気にさせちゃうんですからね。
小葩、恐るべし。
イタリック部分は比田井和子のつぶやきです。