「隊長、詩(私)的に書を語る」は、比田井義信(1953年生まれ・私の弟です)が母、比田井小葩(しょうは・比田井南谷の妻)を回想しながら、小葩の書を語るシリーズです。
比田井小葩のオフィシャルサイトはこちら。
2024年10月14日から「時々南谷」を追加して、比田井南谷の作品も紹介しています。
寄せてくる波
と泡とその美
しい反射と
これは竹中郁のシネ.ポエム「ラグビイ」の最初の部分です。
なので海ではなく、ラグビー競技場の観客の様子を、映画の最初のシナリオとして表現しているのですが、小葩はその映像的な表現を気に入って自分なりに書いたのですね。
自分の感情をあからさまに表現してぶつけることが、うすっぺらな作品になることを知っていたので、そのざわめきをおちついて一旦消化してから、グッと書き出しているようです。
前回の1967年の中学二年生の時に続いて、次の年にはメンバーに写真館の息子が加わりました。
相変わらずみんな海と釣りが好きで、夏休みの葉山の別荘に集まってまず水中眼鏡と、竹とゴムでできたモリを持って、森戸の向こうにある柴崎に行きました。
新名瀬港のわきから海に入り、磯とテトラポットのある岸壁で泳いでいましたが、そこに紫ウニがたくさんいたので一人が殻を割ってみると、マッチの頭くらいの身が入っていました。
これじゃだめだねと笑いながら、せいぜいとれるのはベラくらいでしたが、何時間か遊んでいました。
さあ帰ろうということになり陸に上がるとさあ大変、足の裏が痛いのなんの!
そうです、はいていたゴム草履を貫通して、ウニのとげがたくさん足にささってしまったのです。
足をひきずりながら帰ると、刺抜きを探してとろうとするのですが、ポロポロ崩れて取れません。
母が縫い針を出してきて一人ずつコリコリと削ってもらい、夜ご飯を食べてさあ夜釣りに出掛けるぞと草履をはいたら、また痛い!
草履にはたくさんのとげがまだ残っていました。
草履を変えて出かけた柴崎の岸壁では、刺されると腫れてとても痛い悶絶ものの怖い怖いたくさんの大きなゴンズイしか釣れませんでしたが、今となっては楽しかった思い出です。
今回の小葩の作品は「寄せてくる波」。
本文にも書かれていますが、感情をそのままぶつけるのではなく、じっくりと昇華させた作品です。
素朴ながら、自然なにじみとかすれがうまく配置され、絶妙のバランスが生まれています。
明日は夫、比田井南谷の命日。
互いに刺激し合った二人の書の交流を思い出します。
(ご馳走もあるかも)
それにしても、昭和の磯遊びは危険がいっぱい。
ウニのトゲが母の優しさと重なって、なんとも痛くて温かい思い出になりました。
イタリック部分は比田井和子の独り言です。