「隊長、詩(私)的に書を語る」は、比田井義信(1953年生まれ・私の弟です)が母、比田井小葩(しょうは・比田井南谷の妻)を回想しながら、小葩の書を語るシリーズです。
比田井小葩のオフィシャルサイトはこちら。
2024年10月14日から「時々南谷」を追加して、比田井南谷の作品も紹介しています。
両掌ソロヘテ日ノ光
掬フ心ゾアハレナル
掬ヘド掬ヘド日ノ光
光リコボルル、音モナク。
北原白秋の「白金之独楽」の中の「日光」という詩です。
なんだかハレーションの様な、眩しい作品です。
カタカナは近代の詩人が好んで使っていましたが、文字の太さを変えないようにカタカナの表情の無さを表現しつつ、小葩はその無機質を逆手にとって、じわっと心に迫ってくる作品に仕上げましたね。
僕が中二の1967年頃の本牧はまだ、市電通りを挟んで両側にフェンスがあり、海側には将校の住宅が並んでいました。
一軒家の庭には芝生と外車が止まっており、色は赤やブルーや、メタリックなど、日本のように白や黒グレーなんていうのは一台もなかったように思います。
そういえば、我が家のマーキュリーコメットもメタリックのスカイブルーでした。
そちらには入り口に門番がいて一般人は入れませんでしたが、山側にはアメリカ人専用の野球場やテニス、消防署やスーパーがあり、山の上に昔から住んでいる日本人のために、通り抜けが許されていました。
顔見知りになった二世の子供たちが、一緒にスーパーにに入れてくれましたが、まるで今のコストコの小さい判でした。
そして日本人の子供達だけで自転車でよく入ったりして、時々ある、外でパーティーナイトみたいなのを見学に出掛けていました。
ある土曜日の夜に、その道路の舗装がつるつるで自転車がツーって行くのが気持ちよくて、みんなで坂を上ってピューって降りるのを何回もやっていた時、下にバンが止まり中からMPが降りると、いきなり機関銃みたいなのをこちらに向けながらSTOPとさけびました。
ヤバイ!と自転車から降りると、こっちへ来いと言いながら子供らしいと見て、銃を下ろして中にしまうと、少しの日本語をまぜながら、英語でここは危険だから遊んではいけない、家に帰りなさいと怒られました。
ごめんなさいと謝り帰ろうとすると、ニコッと笑って手を振ってくれましたが、話によるとバンの中に乗せられてこんこんとお説教された友達もいたようです。
あんなに広いと思っていた場所が今では山を削ってマイカル本牧になってしまいました。面影ゼロの不思議な思い出です。
直線的なカタカナと漢字が独特のリズムを醸し出す「両掌ソロヘテ日ノ光」。
すくってもすくっても、こぼれおちる日の光は何を象徴しているのでしょう。
「小葩はその無機質を逆手にとって、じわっと心に迫ってくる作品に仕上げましたね。」とは
言いえて妙!
山手から本牧にかけて、アメリカ人の家がたくさん建っていました。
広い芝生とブランコ、最先端の奇麗な家は、まさにアメリカの絵本から抜け出てきたかのよう。
そこだけ異質な空気が漂っていて、そこに行こうとは思わなかったけれど、男の子は行動的!
機関銃を向けられたですと?
知らなかった・・・・・。
イタリック部分は比田井和子のつぶやきです。