聖寿無窮 補説 蒼海・順徳院殿墓碑

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先週のブログのあとYさんが、「それはそんな説明するからそう思うのであって、つまりはコジツケじゃないか?という人がいますので」と。「その人は、ミドリ色みたら癒しを感じる、バラをみたら希望を思うなんてのもコジツケといいたいのでしょうか。ついでにいうと、素直でないのとニブイのとは用は似ているが体は異なります」なんて、私の解説も要領を得ないことになりました。



拓本二種s.jpg人人によって好みもありますから一概にはいえませんが、蒼海先生の頂上作は絶筆「乙巳元旦」であると私は思っています。佐賀城本丸歴史館に展示されているので、佐賀にお出でになる方はぜひ拝観されるといい。いいものに接することができるというのは最高の幸せです。人間と生まれた私たちにとって、何億もの財産をつくったなんていうのより何倍も大きなラッキイ量です。話が逸れましたが、この墓碑銘はそのような蒼海晩年の境涯を写し出しています。蒼海と梧竹は心友だったからできたのでしょうね。ご本人に似て謹厳な墓碑銘ですが、じっと見つめていると、蒼海先生とお話ができるような、先生は意外と分かりやすい方でロマンチストだったんだ、などと思ってしまいそうな文字ですね。

潤徳院殿s.jpg右側のは小城藩11代、最後の藩主鍋島直虎の夫人春子の墓碑「潤徳院殿馨巌恵春大姉」、68歳の筆。東京都元麻布の賢崇寺境内にあります。春子はいわゆる家付きのお姫様でした。直虎は佐賀本藩の藩主鍋島直正の7男で、小城10代藩主直亮に男児が無かったために婿養子となって後を継ぎました。戊辰戦争などで武功を挙げ版籍奉還後は知事となりましたが、のち実兄の鍋島直大(佐賀11代藩主)、実弟の鍋島直柔とともにロンドンに遊学、子爵、貴族院議員となりました。春子は当時の上流社交界で才知と美貌を謳われました。そのような春子の墓碑はしかつめらしい顔法というわけにはいきません。藩主の奥方としての典雅な気品をそなえ、優しくたおやかで、歯切れよく利発な婦人らしい、そんな表現の書体となっていますね。切れのいい細手の線質やさわやかな構成からは、文明開化の華やかなイブニングドレスなんかを連想する人だっているかも知れませんね。

さて、明治天皇、副島種臣、鍋島春子の3人を、梧竹は書をもって表現しているなどいうのはやっぱりコジツケだとおっしゃる方は、書がそんな神妙な表現力など絶対にもっているはずがないとの強固な信念で人生を貫いておられるのでしょうから、それ以上私から申し上げることは何もありません。

*小城市立中林梧竹記念館の梧竹展が12月5日に開幕となります。案内パンフをご覧ください。同館では多数のご参観をお待ちしています。

展覧会.jpg中林梧竹記念館開館10周年記念
中林梧竹特別展 梧竹と敬明
期間;平成21年12月5日(土)から平成22年1月10日(日)
会場:小城市立梧竹記念館(小城市小城町158-4 0952-71-1132)
記念講演会:12月5日(土)午後2時から
 演題-梧竹没後百年が近づいた 
 講師-日野俊顕

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