墨水邨居雑首

5.28一字.jpg先週に続き「もう一つ」のモデル。こんな風にカジュアルでくだけたモデルとなれば、くどくどしい解説などない方がよい、というのが私の本音だが。

 

 

 

 

 

5月28日キャプション.jpg先日亡くなった作曲家三木たかしは、「着飾った 自分を見せようとせず、自分の人生や生きざまを 正直に表現してほしい」と若い人に語ったそうだ。

いいことばだが、そうだそうだと単純に安心して 浮かれてしまってはいけない。このことばは、すぐれた才能をもつ人、才能を一生懸命に磨いた人に対してのものだ。いま1億人の日本人が、みんなで一斉に自分を正直に表現したとすると、いったい何が生まれるのだろうか。表現する前に、表現する価値ある自分をつくる努力が大切なのだ。

さてこの書、さながら田園交響曲。なだらかに展開する曲想、フォルテとピアノシモの絶妙な配置、弾むようなリズム、楽しさ満載の一曲である。

墨水邨居雑首の一

渺々晴波百里餘  金龍塔影入江虚   
潮涵洲荻鴎尋宿  雨洗堤沙蟹転居   
詩不求工情所發  字為甘歪腕任舒   
客來偶有同調趣  野服角巾忘毀誉  

広々とした隅田の川面に 陽をはじいてキラキラと光る波が百里あまり 
金龍山浅草寺の五重の塔の影が水に映ってうつろに見える
潮が満ちて中洲の荻をひたすと 鴎は仕方なくねぐらを探し
雨が堤防の砂を洗い流すと 蟹はあわてて居場所を変える
私はといえば 詩を上手に作ろうとも思わず 情の発するところを詠い
字が下手だったり歪んだりするのは 腕の動くに任せっきり
客人が訪ねてきて たまたま話が合えば
野人の服を着て隠士の帽子をかぶり 俗世間の毀誉褒貶など忘れている

梧竹は60歳代前半の一時期、向島に居を構えて墨水邨居と称した。

明治神宮で5月23日開催の第18回梧竹の会東京セミナーに、この作品も出品された。翌24日には桜雲洞主人公ほか数名と向島を散策。いまでは作品に登場した鴎やカニの生態も変わったが、梧竹が眺めた隅田川の風景を偲びつつ、言問団子から桜もちと、梧竹ゆかりの甘党銘菓をハシゴ。なお神宮の森での東京セミナーは、比田井女士のブログに盛況ぶりが紹介されているので、ぜひアクセスを。

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