懸燈照清夜――過渡期の書

懸燈s.jpg梧竹先生は「十七帖のなかに行間が美しいところがある。それでもって一幅全体を構成しようと考えて連綿草書をつくった」といわれたと海老塚的傳が語った。

 

懸燈ss.jpg梧竹はこうして七十歳代の前半、捨て去って創造する研究に力を注いだ。その時期の書を、海老塚的傳は過渡期の書(あるいは美麗体)とよんだ。「過渡期」とは連綿草書への過渡期の意味だ。

今回の書、「過渡期」の典型的な一体である。文字結構については、上下の文字との間の連携は当然として、左右の文字との(つまり行と行の)バランスを重視し、従来の常套的な形態を脱して、リフォーム・デフォルメを加えた新しい「梧竹くずし」へのヘンシンを試みている。行間の余白も、かなりの削減が可能となっている。この時期、書線は同じ円筆でも、やや扁平な感じを受けるものがある。

燈を懸けて 清夜を照らす
葉は落つ 堂下の雨
客 酔いて 已に語無く
秋虫 自ら 相語る


梧竹は七十六歳のころ独創的な連綿草書を創った。そのころ「忙しいとき草書は書けぬことを悟った」と語ったといわれている。梧竹が次の張芝の逸話を話したのが伝わったのではないかと思われる。
                                  
草書の神さま(草聖)後漢の張芝は臨池の故事で(池のほとりで書の練習をしたため池の水がまっ黒になった)有名だが、「匆々として草書に及ばず」(忙しくて草書を書くことができない)ということばを残している。草書を書くには書体の工夫など、ゆとりが必要というのだろう。それをまねて手紙の後に「匆々」と書くのが人々の間に流行し、現代まで続いているのだという。     

 

徳島県立文学書道館で「中林梧竹展」開催中です。2月22日に講演予定の比田井和子さんのブログ「酔中夢書」の梧竹の臨書梧竹の超短鋒筆もご覧ください。

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