恭頌新禧 〈新年の十日 その1〉

2017年1月2日

       横浜市金沢区野島公園より仰ぐ 平成27年初日

横浜市金沢区野島公園より仰ぐ  平成29年初日

 

「元日」     頼山陽(1781〜1832)

故紙堆中歳過強

猶餘筆削志偏長

東窻掃几迎初日

讀起春王正月章

故紙(こし) 堆中(たいちゅう)、歳(とし) 強(きょう)を過ぐ。
猶(な)ほ 筆削(ひっさく)を 余(あま)して 志偏(ひとえ)に長し。
東窓(とうそう) 几(き)を 掃(はら)つて 初日を迎へ、
読み起こす 春(はる) 王(おう) 正月(しょうがつ)の章(しょう)。

:漢字の(読み仮名)は現代仮名遣い表記である

 

文政四年(1821)の元日を詠んだ七言絶句です。

第一句に、歳が「強 (きょう)」を過ぎた、とある「強」とは、年齢の四十歳を意味します。

ここで年齢に触れるのはこれが元旦だからです。

今日の習慣とは違って、昔は誕生日に年を加えるのではなく、いつ生まれた人も

皆一斉に暦の新年を迎える度に一歳ずつ年をとりました。そのために歳末の感慨は

直截に加齢の嘆きにもつながり、新年に年齢が話題になるのも自然な流れでした。

安永九年(1721)正月に生まれた頼山陽は、当時の数え方でこの年41歳に

なったのでした。

   横浜市金沢区野島公園展望台より望む初富士        横浜市金沢区野島公園展望台より望む初富士

 

この頃、山陽は後世に彼の最大の業績として知られる『日本外史』の執筆に追われ

ていました。初句と第二句にはそのリアルな日常が伺えます。

堆(うずたか)く積み重なった古典籍の山に埋まって営々と書き続ける毎日。

書いた部分も更に筆を入れなければならない箇所は果てしなく、

長い道のりには終着点も見えません。

 

           曙光に明るむ八景島 横浜市金沢区野島公園展望台より望む曙光に明るむ八景島

 

東窓とはすなわち、いち早く朝日を入れる窓です。

東側の窓に面した机上は、途切れない著述に片付きようがありません。

そこを、わずかでも清めて初日を迎えます。お正月ですから。

 

文政四年の正月一日はグレゴリオ暦では1821年の2月3日。

現行暦の元日より一ヶ月あまり先になります(陰暦に変換すると今年の元日は

まだ旧年の12月4日ですから)。この元旦、2017年1月1日の京都の

日の出は07時05分でしたが、山陽が詠む江戸時代の初日の出は、もっと

早かったはずです。精密な計算は措いて、現行暦の日数でおよその時差を計ると、

この詩当日の京都の日の出はだいたい06時40分頃でしょう。

 

そして、曙光の中に読み始めるのは、

「春(はる)王(おう)正月」と始まる『春秋』の一章です。

 

『春秋』は紀元前8世紀から紀元前5世紀末までの240年あまりを収めた編年体の

歴史書で、四書五経のうちの五経の一つとして知られます。

孔子本人が書いたか または手を入れたと伝わる儒家の聖典の一書で、

簡潔な記述の中にも、人物や物事の扱い方に孔子の思想が直接反映しているとされて、

儒家に尊ばれてまいりました。

もちろん、漢学者頼山陽にとっても特別な書物であったことは間違いありません。

畢生の仕事の長い道の上で、この日 山陽はまた新しい年を迎え、朝の光に

淡々と鉢巻きを締め直すのです。

 

          川鵜と百合鷗川鵜と百合鷗

“ ナニカ ?”     “ …ベツニ…(コッチ 見ナイデヨ)”

 

ひたち と みやの距離感を思わせる川鵜(かわう)と百合鷗(ゆりかもめ)

大きいというだけで小さい方には要注意対象になってしまうのでしょうね。

 

それにしても

みやこどり

白き鳥の、嘴(はし)と脚(あし)と赤き、鴫(しぎ)の大きさなる、

水の上に遊びつつ魚を食ふ。 …中略…「あれなむ  みやこどり」

『伊勢物語』九段

「みやこどり」とは百合鷗のこと。

千年以上前に描かれた姿を、私たちは今もそのままに見ています。

 

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