もう一つの梧竹(篆隷7) 尊楗閣刻石臨書

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10月から書体を草書に戻してと考えていたのだが、珍しい「漢 建武中元蜀郡尊楗閣道石刻」臨書に出会った。「もう一つの梧竹」での紹介、とくに臨書作に偏りがあるのは止むをえないとはいえ、気になっていたことでもあり、所蔵の山口耕雲先生のご諒解をいただいて掲上することとした。


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石刻は四川省滎經縣の西方、滎河南岸の崖壁に刻されている。「何君閣道碑」「尊楗閣刻石」などともよばれ、蜀(四川省)の知事何が尊楗閣(という桟道)を1198日の工事で建武中元2年(57年)6月につくった記念碑である。文は52字。「石索2」にも記事が見える。
 蜀郡太守平陵何君、遣掾臨邛舒鮪、將徒治道、造尊楗閣、袤五十五丈。用功千一百九十 八日。建武中元二年六月就。道史任雲、陳春主。

書体は早い時期の典型的な漢隸で、波磔がなく縦画横画は整って、篆・隸書変遷の過程を示している。「永平開通褒斜道石刻」(66年)「敦煌太守裴岑紀功碑」(137年)「司隷校尉楊准表紀」(173)などがこの系列に属している。

梧竹は、どちらかといえば際だった特色をもたない原本に、モダンな感覚を加えて、新鮮な梧竹ワールドを打出した。大野篁軒氏が郛休碑の臨書を見て、「どうということもない原本でも、梧竹が臨書するとにわかに生き生きと見えるのが不思議」と語っていたことを思い出す。

今回とくに注目したいのが、6月4日のブログでもふれた「視心」のことだ。この1幅のすべての文字や余白のもつベクトル(大きさと方向)の総和、あるいは1幅をじっと眺めていると、視線がそこに落ち着いてくる、分かりにくい説明で申し訳ないが、言い方をかえると、そこに視線を合わせたとき1幅がもっとも美しく目に映るポイントだ。それが、この幅では3行目下から3字目「用」の位置にある。用の字そのものをいうのでなく、その位置に1幅全体のベクトルの合力点があるといった感じだ。

「視心」を造り出すのは文字と余白=墨のヴォリュウムとフォルムだ。それらをコントロールし、ダイナミックに組織立てるのが、書道でいう「章法」、絵画などで西洋風にいうコンポジション、構図、構成である。立体構成・遠近法と密接する技法で、草書にも多用している。ここまで気配りのとどいた書は、古来類例まれな、梧竹独自の芸術技法である。

この書は、晩年によくみられる「同心円型」(と私はよんでいる)コンポジションで、参考図をつけたのでご覧いただきたい。

石索と同心円s.jpg

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