2009年4月 9日
風竹の図
竹林に嵐が襲いかかる。竹は精いっぱい風に耐えてぐーんとたわむ。画面のまん中で弓なりになった太い幹、平行する細い二三本の幹。逆向きにに反った幹が、左下から右上に向けて一本、すきあれば跳ね返して真っすぐ立ち上ろう、そんな気構えを見せている。
低所の枝は地面にたたきつけられ、高所の枝は限界まで吹き曲げられ悲鳴を上げる。いまにも千切れそうに打ち震える葉は、必死で枝にしがみつく。横殴りの雨が混じって、飛沫となって飛び散る。
よく見ると、この絵はおよそ三部分で構成されている。地面に接する低い部分、幹のたわんだ高い部分、そして竹林の上の天空。水墨の山水画で高い山を描くとき、頂上、山腹、ふもと、それぞれに視点の高さを変えて、視線を使い分ける技法を応用している。
画面の下部、地面にこすりつけられる枝の葉は、X字状に交差する上向きのタッチで、足元から吹き上げる風と飛び散るしぶきをリアルに描写している。高所の枝の葉は、左から右へ、やや右下がり、すさまじい風速、風圧に今にも千切れ飛びそう。葉はまるで忍者の手裏剣の形、葉の叫ぶ悲鳴が耳に鳴る。薄墨の竹は竹林の深さと奥行きを見せる。まだら模様の空眼のように残された白いスポットが、枝葉のシルエットを浮き出させ、逆光の照明効果をもたらしている。
空と竹林が接する低いところに、さっさっと掃いた大きな薄墨のタッチは、竹林の上に覆いかぶさり揺さぶる嵐の姿を、俯瞰的、象徴的にとらえている。さらにその上の何も描かぬ余白は、筆墨を用いずして見事に描いた天空である。
この絵の前に立つと、自分も絵の中に引きこまれてしまう。幹も枝も葉も、風やしぶきも、絵の中に描かれた景物ではなく、吹き飛ばされて、こちらに向かってぶち当たってくるつぶてである。この絵のもつ臨場感はそれほどに強烈だ。幹も枝葉も、ビデオの静止画像の形に、瞬間の姿態をとらえて描かれているが、実際のビデオ撮影なら、一枚一枚の葉もめいめい勝手な向きになっているはずだ。この絵のリアリズムは自然科学的なリアリズムではなく、心に映った風竹の姿を写した心理描写的なリアリズムだ。それが、梧竹の的確な自然観察に裏付けられている。
じっくりと絵を読むと、画面全体が同じ一つの瞬間を描いたものではなくて、部分々々で別々の瞬間を描いていること、それぞれの瞬間の時間に長短の差があることがわかる。低所の枝の瞬間は、嵐が襲いかる極めて短い一瞬。高所の枝の瞬間は、嵐が強くあたるとたわみ、嵐が息をする間はゆるむ、そういう一呼吸ほどの静止時間を伴う長めの瞬間だ。低所と高所に別々の瞬間が混在することが、吹きあたる風向きが、上下、前後、左右に、めまぐるしく変化する様を効果的に表現している。
天空の低部の薄墨のタッチが、嵐が吹き寄せて竹林を揺すり、やがて過ぎ去ってゆく、かなりゆっくりした時間の経過を表現し、遠く聞こえる海鳴りの音がも描き込まれている。
上部の大きな余白は、限りない天空の高さと広さを描いている。嵐ばかりか、地上に生起するもろもろの現象を超絶し、すべてをすっぽり包みこむ。嵐の猛威も大自然の営為の一つと観じて、天地に心を遊ばせる梧竹の心境感懐もこめられている。それ故この絵には、この余白がぜひとも必要であり、賛などで埋めてしまっては絵が死んでしまう。
落款は、広い余白の右上角に、目立たないほど小さい「癸卯春梧竹写」と「七十七叟」の朱印だけ。余白と画面全体を過不足なく引き締め、生彩を添加する、すばらしいワンポイントアクセサリーだ。
最後にMさんは「あれほどに魂を揺さぶられる絵との出会いは、生涯にもそうそうありはしないでしょうね」という。私の耳にもあの巨幅に描き込まれた激しい嵐の音がよみがえった。さらにさらに大きな静寂が、「大声は声なし」を絵にしたように、一幅の画面全体をつつむ梧竹の独創的表現のすばらしさを思った。
蘇東坡に「ウントウ谷偃竹記」(ウントウは地名、風で倒れかかった竹)の文があります。
「竹が始めて芽生えるとき、小さな芽生えながら節も葉も具わっている。蝉の腹や蛇のうろこのような形のものから、抜いた剣のような形に生育するまで、生まれながらにそれがある。いま竹の絵を描く人たちは、一節一節、一葉一葉と描き加えていくが、あれでは竹にはならぬ。竹を描くには、必ず先ずでき上った竹を胸中に描き、それから筆を執って(心に描いた竹を)じっくり見る。そこで描こうとする竹の姿が見えたら急いで起ち、見えている姿に従って、筆を振って一気に描き上げ、その姿を追いかける。兎が走り出し、隼が舞い降りるように素早く描く。少しでも勢いをゆるめると心に描いたイメージが逃げてしまう。文与可が私に教えたのはこういうことだった。私はそのようにはできないが、心ではそのわけがよく分かった。」(文与可は蘇東坡のいとこ、竹の絵で有名。)
蘇東坡は古今に傑出した文人ですし、ことに朱竹の創始者といわれます。梧竹がこの文を読んだとき、竹の絵の秘訣を、どうのように受け取ったでしょうか。あるいは「胸中の竹」を、梧竹も見ていたのかも知れません。
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