ナマズの髭――超長鋒筆

翠.jpg梧竹が70歳代まで愛用したのは、並はずれて長い筆毛で、「ナマズの髭」といわれた羊毫超長鋒筆である。今回の書や前回の「鳩の詩」を書いたのもその筆だった。

 

 

浅深春ss.jpg
巖谷一六の書簡に「明後十六日、伊藤博文公の高輪別邸へ参りますので、先生もお出かけいただきたい、例の長心筆をご携帯くださるように」(要約)とある。梧竹のほかには誰も扱いきれなかった長鋒筆で、伊藤公を驚かせようというのだ。

深川造船に勤めていた横尾儀一郎は、「非常に濃い粘った漆の様な墨汁を使用して居られた。先生の不在の時、私共が画箋紙の端に筆を持って一寸書いてみると筆がちっとも動かない。然るに先生が書いて居るのを見ると楽々と書いて居られる。流石に偉いと感じた」と述懐している。

私も海老塚的傳翁に、どんな筆だったのか尋ねてみたが、「非常に長い筆毛だったことは見て知っておるが、正確な寸法はわからない」ということだった。どこかに残っていないものか残念なことである。

さて、この書を梧竹の頂上作とし、「鍛えあげた運動選手の肉体のように、つややかでしなやかで強靱な筆触」と評するのは石川九楊氏だ。六朝の性質を多分に残す70歳前後の行草書の表情を、グリコのトレードマークのような比喩でうまくとらえているが、これを頂上作とするのは適切でなく、ある種の作意が感じられる。

厳しくいえば、この年代の梧竹書は、まだまだ一字一字をまとめて書くステージに止まっている。登山なら五合目、大変なのはここから先の胸突き八丁だ。

ヒゲには髭(くちひげ)・鬚(あごひげ)・髯(ほおひげ)があるが、ナマズだから髭がいいだろう。

 浅深の春色 幾枝含む
 翆影 紅香 半ば酣ならんと欲す
 簾外 軽屋 人 未だ起きず
 売花声裡に  江南を夢む

 

 

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