中林梧竹 なぜ80歳以降? その2

03 梧竹山中の雲s.jpg
今回は60歳ころの作。同じ詩を書いたものをと思ったが見付からないので、
よく似たムードで、陶弘景「詔問山中何所有賦詩以答」をUPした。

 
 


第二回 梧竹山中 3.jpg

山中何所有 嶺上多白雲 只可自怡悦 不堪持寄君
  お前の住んでいる山中には どんないいものがあるのか とのお尋ね。
   山の嶺には きれいな白雲が いくつも浮かんでいます。
   ただ これは わたくしが眺めて楽しんでおりますだけで、
  殿さまに お届けしてさしあげることは できません。

余元眉は梧竹に驚いたが、梧竹は余元眉に見せてもらった中国の書に驚いた。
日本では、六朝書というのが明治半ばから大流行となるのだが、初めて書いたのは梧竹だった。明治15年には北京に渡り、潘存(余元眉、楊守敬らの師)の教えを受けた。 

梧竹のテーマは、中国になりたい、なでしこJapanから青龍刀Chinaへのテイクオフ。六朝風、中国風との格闘、スクラップ&ビルドの期間だ。

03 梧竹山中の雲.jpg

梧竹風隷楷の一体、隷書から楷書が生まれた5世紀ごろのムード。
この書で左ハライのおわりの肉が厚いのは潘存風。
「雲」、字体のルーツは北魏の鄭道昭だが、見事に梧竹バージョンにリフォームされている。

この時期の梧竹は、造形性、デザイン性といったものへのこだわりを感じさせるが、やがてまた、漸次ニホンへの回帰に転じていく。



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