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比田井南谷レポートレポート   Vol. 23 エリーゼ・グリリの記事(1961年の「Japan Times」)

Vol. 23 エリーゼ・グリリの記事(1961年の「Japan Times」)

ピーター・グリリさんは、南谷が1959年に初めて渡米する際に、大きな貢献をいただいたジャパンタイムズの美術担当記者のエリーゼ・グリリさんのご長男です。今回、 √k Contemporary での「HIDAI  NANKOKU」展で、1月28日に実施された京都芸術大学のオンライン授業の時間中に、アメリカ、ボストン在住のピーター・グリリさんから、配信されている授業を視聴しているとのサプライズのメールをいただきました。40年以上前の交流をピーターさんも和子も昨日のことのように記憶しており、オンライン上での再会という貴重で有意義な機会となりました。

ピーターさんからのメールには、1955年の前衛書の展覧会と1961年の南谷の個展についての「Japan Times」掲載のエリーゼ・グリリさんの批評記事のコピーが付記されていました。その中で南谷の個展の記事を訳して紹介します。

 

*Nippon Times は1897 年に初版が発⾏された日本国内の最も著名な⽇刊の英字新聞であり、出版社としてはJapan Times社という名称であった。エリーゼ・グリリの夫マルセル・グリリは第⼆次世界⼤戦の間、ワシントン D.C.の戦略情報局(OSS)に勤務しており、1945 年には東京で⽂官として占領軍当局に転属された。マルセルはジャパンタイムズの音楽のコラムを担当し、後にアメリカのドイツリートの黒人歌手マリアン・アンダーソンを日本に招致して、クラッシック音楽ジャンルでのダイヴァーシティの先駆けとなった。エリーゼは1947年から日本に在住し、ジャパン・タイムズの美術批評を担当し、日本と東洋芸術に関する著作や日本の美術シーンに大きな貢献をなした。グリリ夫妻には息子ピーターと娘ダイアナの二人の子どもがおり、ピーターはボストンのJapan Societyの会長を務め、ダイアナはロサンゼルスで弁護士となった。

 

The Japan Times, 1961年  12月4日 月曜 Art, East and West

「東洋の墨の新たな変容」 エリーゼ・グリリ著

比田井南谷とサンフランシスコの生徒たちの抽象書画展

村松画廊 銀座通り(日本楽器製造会社、現ヤマハ楽器店のそば)12月5日まで

 

現代の東洋の書道における抽象化 (文字通り「引き出す」) の動きは、 [西洋の]私たちが絵画を「現代抽象絵画」と呼ぶものへ変容させていったことに類似しています。無限に多様で魅力的な中国の表意文字の「見てわかる形象」は、「抽象書家」によって置き去りにされます。ちょうど西洋の芸術家たちが、純粋なデザインと激しい表現の追求のために、ヌードの画像や静物画を犠牲にしていったことと同じように。

比田井南谷の作品には、当時の伝統的な書家として有名な父親に訓練されたにもかかわらず、読みやすい書の痕跡はありません。昨年のアメリカでの比田井の展覧会では、彼の作品と西洋の抽象画とを単純に連携させようという試みがありましたが、彼は—当然のことながら—反対しました。彼の独特なデザインと墨の特質は伝統的な書の鍛錬に直接由来し、他の方法によっては到達できないと反対したのです。 確かにここには、墨の豊かさ、微妙な空間分割、そしてスーラージュ、アルトゥング、マチューやクラインの努力をはるかに超えた線の生命力の要素があります。

美しい東洋の墨線の主な基準は、生命と運動の活力であり、中国と日本の美学でよく議論されている「気韻生動(生気が満ち溢れていること)」です。この線は、方向感と推進力のある動きに基づいた宣言(マニフェスト)です。 逆転したり、停止したり、修正したり、改竄したりすることはあり得ません。それは壜から現れる魔神のように流れ出し、独自の力とダイナミックな動きを呈します。 しかし、この線は、それを飼いならし制御することができるような芸術家の手の中の野生の力ではありません。きわめて敏感な東洋の筆はこの制御の道具であり、書家-芸術家はアラディンが魔神に行ったように、それを意のままにすることができます。 多才な書芸術家は、特に貴重な古代中国の墨の使用には豊富な経験を持っています。 墨はすべて無限に多様な可能性を秘めているのです。

比田井は、濃淡、乾湿、潤いとかすれといった様々な段階の色のヴァリエーション(変奏)を行います。彼は、 時にはこうした魅惑的な墨の煌めきを放棄して、私の経験の中でも最も荒々しい、最も剝き出しの、ほとんど「空の(Empty)」絵を実践します。 数多くの「練習曲」やソナチネの中には、モーツァルトの旋律の美しいモチーフと同じくらいの完璧でコンパクトな詩的な部分がいくつかあります。[比田井の作品でも]同様に芸術として必要な要素は随所に散在し、簡素です。加えて結果として生じてくるのは確固とした関係性と緊張であって、議論の余地がありません。

アメリカ滞在中、この芸術家はサンフランシスコで一群の芸術家たちに教え始めました。すでに成熟した人たちは、悪意のない固定観念で、東洋の書家に対しておしなべて感情を表さず、行動を妨げがちな無邪気な子供のようでした。彼らは驚異に満ちた新しいゲームに思いのままに飛び込みましたが、それでもこれまでに獲得していた感覚を投入しました。その結果、筆の取り扱いとデザインへの意欲的なアプローチが生まれ、生徒たちの活気と新鮮さに影が薄れているとさえ感じていた教師を喜ばせました。

この崇高な芸術の熟練した実践者として、彼は自分の技能を加減して、素朴な初心者のもつ活力の方を大切にすることができます。 外部からさらに冷静に見ると、こうした生徒たちの作品は、子供たちの絵のもつ魅力と自然さをいくらか持っています。でも、きっとこの画家たちは、「初心者の幸運」という純粋な輝きを超えて、もっと確実な形式の墨画に進みたいと思うでしょう。

西洋のこうした芸術家‐生徒の関心は、古代の驚異に満ちた東洋の書に対して新しい世界を開きます。ここには、古代の素材とデザインの原理が新しく発展できる「抽象表現主義」の新たな鉱脈があります。それは萌芽の可能性であったとしても、興味深いことに、こうしたアメリカの生徒たちの仕事はこの教師の仕事の光を奪うことはありません。この芸術の奥深さはそう簡単には探究されることはありません。比田井自身の書画の射程と多様性は、東洋の墨の豊かで黒い大海という、絶えず誘い招き、決して探究され尽くせない深淵を示しているのです。

 

 

写真の説明

比田井南谷の最新の書作品の一つ

サンフランシスコの比田井の芸術家-生徒の一人が書を書く

 

 

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