2007年7月 1日

第7回 大胆な造形と章法、守田寶丹の書碑


徳源院の碑
 本駒込から動坂方向に歩くと、左に徳源院(本駒込3-7-14)(写真1)がある。よく手入れされた境内は落ち着いて風情がある。参道両脇の庭には石碑 が林立し、「徳源禅院」と刻された石標の裏に、「石中に火あり打たざれば發せず人心また此の如し」とあった。ここは、桜井蕉雨(八巣)〈文政12年没〉の 墓がある寺で、参道左に「蓮に乗る心□清く露の玉 三世八巣謝徳」と刻された句碑があり碑陰に天保十一年八巣謝堂とあった。


徳源禅院参道(写真1)

 「徳源禅院」石標の向かい側に、大胆な造形と章法の碑がある。「太古の遺跡」碑(写真2、3)で、明治二十八年九月大吉祥守田宝丹謹述とあり、右 下隅に石工石井育壽鐫とあった。この碑は動坂にあった目赤不動跡に建てられていたものがここに移されたもので、以下に述べる寶丹の書碑も同様である。 左 奥には、「目赤舊蹟 不動尊碑」があり、守田寶丹謹誌 石工石井育壽鐫とある。明治26年の建立で、碑陰に奉納寶丹本舗守田店とあった。その隣は、隷題の 「重修目赤不動舊蹟之記」で碑文は行草。明治26年の建立で、これは、寶丹調の書ではない。石碑の下部が読みとりづらいが「江東正倉軒楠正」と読めそうで ある。



左から「太古の遺跡」碑(写真2)、太古の遺跡」碑拓本(写真3)

門塀を背にして行書の題で「日限地蔵大菩薩」碑(写真4)がある。明治27年の建で、行草漢字仮名交じりの碑文を、細身の線で守田宝丹が書し、石井育壽が刻している。書家ではなかった?からであろうか、妙に印象に残る「現代風の書」であった。


「日限地蔵大菩薩」碑(写真4)

「現代風デザイン文字」の元祖?
  守田寶丹(天保12年〜大正元年)は、上野池之端仲町で薬屋を営なみ、信仰心篤い人だったらしく、浅草から日限地蔵をこの地に移し祀っている。薬店は、初 代が延宝8年に開いたもので、13代目が現在も営業を続ける。上野池之端の中通り(鈴本演芸場右手)を入り、中程右側にある8階建ての比較的新しいビルで 「薬 守田寶丹」屋号が掲げられている。

  守田寶丹はこの「守田治兵衛商店」(台東区上野2−12−11)の9代目当主である。
「寶丹」は、文久2年にコレラの予防薬として発売された薬の名で、9代目は自らの名として用いた。この薬は明治4年に官許第1号の公認薬となり、万能薬と して日清、日露戦争では軍の必携薬となった。その後改良され、今でも胃腸薬として売られている。寶丹は、商才にも長けた人だったらしく、広告、宣伝に目を 瞠る活動をしている。看板やチラシはいうに及ばず、新聞広告にはじまり、400号にも及んだPR誌「芳譚雑誌」を創刊、 はたまた歌舞伎の上演中に役者に「寶丹」といわせたり、「寶丹」宣伝の為に古典落語「なめる」を創作させて噺家に口演させたりと、今でも通用しそうなアイ デアを明治期に実行しているからすごい。広告業の先駆者とも言えそうである。寶丹書の大胆な造形と章法は、こうしてみると、いかに人目を惹き、見るものに インパクトを与えるかということを出発点としているようにも思える。伝統書法の超克をめざした現代書家とは、自ずから異なる地平に寶丹は立っていたのであ ろう。それはまた、自由奔放な書風を生む土壌でもあった。寶丹は、明治25年に家督を譲り、隠居後は静松園長禄翁と称した。本駒込周辺の碑は、年号から見 て隠居後のものである。このころ、寶丹の書風は商家の 看板としても人気を博し、将棋の駒の書にも重用されたという。

蛇足だが、「寶丹」は、文久2年に来日したオランダ人のボードウィン博士の処方をもとに造られたという。博士は、明治3年に帰国するまで在日し、明治の医学界に貢献する傍ら上野公園の造成を提唱した。上野公園の噴水そばには、公園生みの親として博士の胸像が建っている。


目赤不動・天祖神社の碑


左から目赤不動尊(写真5)、「松尾水」(写真6)

 本郷通りに戻り左に行くと、目赤不動・南谷寺(本駒込1-20-20)がある。不動明王が安置された御堂の右に、寶丹の碑がある。「目赤不動尊」 の題字の下に独特なスタイルの碑文がある徳源院と同様の碑(写真5)である。刻者は「三世石井育壽刻」とある。先に見た碑に三世の刻字はないが、同時期の 明治26年(1893)の建立である。刻者は同一であろうか。墓地入り口に、「松尾水」(写真6)と草書で大書された奉納碑があった。「井戸一式寄付 浅 草花川戸町 醸造元神谷傳蔵」と面白い字が刻されている。碑陰を見るとやはり「明治四十一年(1908) 守田長禄翁寶丹題 酒井龍仙刻」とあった。

本郷通りを、駒込方向に北上するとしばらく行った右手奥に天祖神社(本駒込3-40-1)がある。ここにも、寶丹書碑が建つ。参道左側の「幣之松」碑(写真7)がそれで、寶丹が書丹しこれも石井育壽が刻している。明治29年の建てられた。



「幣之松」碑(写真7)

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