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比田井南谷レポートレポート   Vol. 25 天来書院の新刊『比田井南谷—線の芸術家—』髙橋進著

Vol. 25 天来書院の新刊『比田井南谷—線の芸術家—』髙橋進著

   

南谷の軌跡 : 文字を書かない前衛書道を開拓!                                                                                                           

天来書院から2024年6月に比田井南谷の評伝『比田井南谷—線の芸術家—』が刊行されました。

 

天来書院発行「比田井南谷ー線の芸術家」

 

第二次世界大戦の敗戦後の日本で、書家の比田井南谷(1912-1999)は、書道史上初の「文字を書かない書」を生み出しました。

南谷は、書の芸術性がその文学的な内容から独立しており、書の真の本質がその線の豊かな表現力にあるという信念を持ち続けました。

彼は、生涯を通じて孤立して実験に挑戦し続け、その実験が作品を絶え間ない変容へと導きました。

本書では、「線の芸術家」と呼ばれる南谷の実験の軌跡をたどるとともに、多くの作品の画像や未発表資料、および英文による要約や詳細な年表を付しています。

本書は、第一部「線の芸術」の創造、第二部「線の芸術」の普遍性の検証、第三部 世界に衝撃を与えた「線の芸術」、第四部 線芸術のさらなる可能性、という四部で構成されています。

南谷の芸術活動についてはこれまで誤解を含め、解明や理解が乏しい状況でしたが、本書は南谷の「心線作品」の誕生からアメリカ・ヨーロッパの芸術界での活躍と南谷の線芸術の可能性を検討する内容です。

記述にあたって、南谷の残した膨大な資料を活用し、さらに同時代の書家や芸術家の動向も紹介して、南谷の「線芸術」の独自性を解明しようとするものです。

 

本書の核となる部分を紹介します。

南谷は、「書の芸術性の確立を書線の美的表現性の自覚と自立と捉え、文字(文)の制約を離れ、古典的な書の歴史の中で、書線の表す筆意(美的表現性)を抽出し、それらの独創的な表現を生み出そうと試みた」(本書51頁)。

 

「書くという行為」

「欧米の前衛芸術と同様に、同時代的な伝統文化の崩壊から、書もまた伝統のくびきから脱却して、自由な芸術創造を目指して生まれ変わろうとする。

それには、惰性的に無自覚になっていた文字や文学的内容を書くのが書道だという固定観念の束縛から自由となり『文字・筆・墨・紙』と『書く主体・書く身体・書く内容』といった書の本質的要素に対し、書家自身が自覚的反省的に熟慮するように迫られたのであった」(本書129頁)。

「その際、文字の造形性を純化させながら『書く』という書表現の身体性(書く行為・書きぶり)を強調する姿勢が西欧の抽象表現主義と類似する点となった。

しかし、南谷は、身体性の強調が『書く』という行為の自発的な無意識的表現というものであってはならず、『書くこと』は一過性の時間経過のうちに、一つの点、一本の線を目で見、手で扱い、その線の曲がりや捻じれ、速さやゆるやかさ、濃淡や強弱の表現力(線の筆意)を自覚的に図りながら、自己の身体の呼吸と鼓動を感じつつ『書いていく』ことであると主張する」ものでした(同上頁)。

 

「人間比田井南谷の芸術」                                                             

「南谷は、三〇〇〇年を超える書の歴史が文字を素材としていることに異論を唱えるのではない。父天来が主張したように、書は、筆意と結体の美(筆意=線の表現力、結体=文字を作る線の繋がりの表現性)の要素から、記号的に意味を伝える文書から独立して、芸術として成立したものであることを確信していた。

書の線が、意味を伝える既成の文字の規則(コード)に縛られ従属してしまうことに抵抗して、書の線の表現性を実現するためには、必ずしも文字に拘泥することなく、文字を離れ文字を書かない書も可能であることを証明しようと努力し続けた。

芸術としての書が線の美しさ、線の強さ、線の繊細さ、線が伝える響き、線が空間と照応し交響し、見る者の心の中に未体験であるが何か記憶の底から湧いてくるような新たな重層的な響きをもたらすことを目指した。

書線の動きから書き手の人間性が感じ取られ、その線の心が見る者の心にこだまし、共に響きあう空間を創造することを目指したのである」(本書163頁)。

 

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