パリのモネ展

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 演奏旅行でパリに行ったが、その折にモネの展覧会を見た。これはもう圧巻というしかないものだった。


 このモネ展については、ドイツのテレビなどで盛んに紹介され、すごい数の観客が予想されていたので、予約無しで入れるかは疑問だったが、待ち時間も覚悟してとにかく行ってみた。会場グラン・パレーの入り口には長い列が出来ていて、その後部には、「待ち時間約3時間」の札が立っている。ここまで来たのだからと並ぶことにした。インターネットで細かい日付、時間帯指定の予約券を買った人は横から入って行くのだが、それももう何週間も先まで一杯のようだった。大変天気がさわやかで、同行の二人の仕事仲間とおしゃべりするうちに時間はすぐたって、結局2時間半弱で入ることが出来た。

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 世界各地の美術館からモネの重要作品を集め169点一気に展示されたのだが、この種のモネ展は30年ぶりとのことである。貸し出しを渋る美術館には、「それじゃ、我々の(フランスの)絵も出しませんよ」なんて調子で脅すように集めたという話も聞いた。

 入場者数を制限しているので、中ではじっくり、ゆったりと見ることが出来た。グループに分けた絵の並べ方、壁の色など、展示自身が非常に美的で、落ち着いたしっとりした雰囲気だった。全体はほぼ年代順、テーマ順になっていた。モネが同じ対象をまったく同じ角度から何度も描き、その時々の光や色の変化を執拗に追及したことは良く知られているが、この展覧会でも、そのような絵の組が多く並んだ。世界中のモネを集めることで、長い年月を経て初めて横に並んだ作品も多かったのだろう。例えば、同じ鉄橋を違う時刻に描いた絵でパリの美術館とフィラデルフィアの美術館に所蔵された2枚が、今回仲良く横に並んでいた。

 筆者は旅行の折などに、各地の美術館でモネ作品を見てきたが、数点見るのと、今度のように集中してモネの世界に浸りきってしまうのでは大きな違いがある。なんという色、なんという光。美術ファンというわけではない筆者にも、もたらされた感動は大きかった。絵画の世界にここまで沈潜する経験はなかった。

 それにしても、近寄って見れば、乱暴なぐらいの強い筆あとが、離れて絵を見たときの調和の中に吸収されて、奥行きと深い雰囲気を醸し出しているのには奇跡的なものを感じる。そこにはいつも空気の振動のようなものがある。これはやはり生で見るしかない。

 あと、1,2点ではあるが、いつもの流儀を止め、「描こうと思えば、俺はこんな風にも描けるんだぞ」と言うように、極端に写実的な技法を誇示している作品もあって興味深かった。

またモネが南国に旅したときの、繁茂する植物の絵は見たことがなかったが、そのはじけるようなエネルギーはすごかった。尖った葉の一枚一枚を描かずに、そこからやってくる光のエネルギーだけを描いたような感じで、大いに驚かされた。

 どうも前半の部分を見るのにじっくり時間をかけすぎ、後半のルーアン大聖堂や蓮池など一番重要な部分をかなり焦って回らなければならなかったのは唯一惜しまれることだった。

 筆者は子供のころ誰かに、「絵には音楽のような揺り動かされるような感動が無くて・・・」などと言ったが、その人の答えは「絵にはもっと静かな感動が・・・」などというものだった。確かに感動の種類は違うのだ。今回モネを見た2時間半ほどの時間は、とてつもなく深い世界の入口まで筆者を連れて行って、その存在を垣間見せてくれたのだった。

 

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