ゴール直前の勝負

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  走るのが得意とは言えず、徒競走なんて勘弁してもらいたい私だが、一度だけ会心のレースを走ったことがある。それはレースの褒賞の大きさに関係があったのだ。亀を俊足のウサギに豹変させたものはなんだったのか。(写真は本人と関係ありません)


 大学生のころ、ドレスデン国立歌劇場が来日し、神奈川県民ホールでヴェーバー「魔弾の射手」とリヒャルト・シュトラウス「薔薇の騎士」が上演された。当時シュトラウスの魅力を知り始め、カラヤンの「薔薇の騎士」の映画を見、またFM放送でそのさわりが流れたのを録音して聴き入ったりしていた。その魅力に相当取り付かれていたのだ。

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 海外オペラの来日となると、入場料はべらぼうに高い。もし買えるとすれば一番安いチケットである。ところが安い席の席数は極端に少ない。よく憶えていないが20席とかそんなものだったと思う。そうなると各プレイガイドで買えるのは2枚とか4枚とか。発売時に一番で買うしかない。

 さて買う場所は有名デパートの上の方の階にあるプレイガイドと決めた。そこで問題になるのはどこの入り口に並ぶかだ。そのデパートの同じ建物の中に隣接の駅ビルがあり、そこの2階のフロアーに連絡入り口があるので、そこに決めた。当日デパートの開店時間前にその入り口に陣どると運のいいことに一人だけ。体内の興奮度が高まる。内側ドアが開けられると同時に飛び込んだ。通路のあちらこちらに立って店員さんが「いらっしゃいませ」と深々と頭を下げる鼻先を、疾風が走り抜ける。我ながら異常な雰囲気だったと思う。エスカレーターに達して、そこを全力で駆け上がる。

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 ところがショックなことに、一人の男が駆け上がって行くのが眼前に見えた。一人ではなかったのだ。どこか他の入り口から入ってきたようだ。「薔薇の騎士」に向かって突進しているのに間違えない。私は猛然と追い上げた。「走れメロス」もかくのごとくか。それでも男はいつも前を走っている。相手も必死だったと思う。

 数階を駆け上ってやがて、目的のフロアーに達した。上部のフロアーは非常に奥行きがあり、その一番向こうにプレイガイドのカウンターがある。私は力を振り絞った。最後の直線での死闘だった。そして奇跡の逆転が起こった。私はついにその男を抜き去ったのだった。そして「薔薇の騎士」の最低券を手に入れることが出来たのだった。この曲を生で、しかも一流の歌劇場の上演で味わうことが出来たのは幸せだった。

 思えば、その方にはお気の毒だった。一番にエスカレーターに取り付いたのはいいものの、後ろからダンプのように誰かが追い上げてくる。恐怖が走ったのではないか。そして最終直線で追い抜かれて・・・。私は1枚しか買わなかったように記憶するので、たぶんその方も買えたのではないかと思う。そうであって欲しい。

 さて何かの偶然でその方がこのブログをごらんでしたら、是非天来書院さんのほうに連絡をください。「旧交」を温めましょう。

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