2008年1月 1日

第11回 広沢公神道碑と松陰神社の碑


偉容を誇る神道碑
 東急世田谷線の松陰神社前駅を下車して三百メートルほど北に行くと松陰神社(若林4−35−1)がある。


「広沢公神道碑」(図1)


(図2)

 参道の左手、若林公園に続く敷地に、大きな銅碑がある。「広沢公神道碑」である(図1風景)。敷地は広沢家の墓域になっているようで、コンクリー トブロックに囲まれ許可無く入ることは出来ない。ブロック越しに碑の正面半分ほどが見える(図2)。篆額は伏見宮依仁親王で「贈正三位広沢公神道碑」とあ る。撰文は、当初落合済三に下命されたが没したため、高島張輔が受け継ぎ明治45年(1912)に完成させた。書は、杉山令吉で大正11年(1922)に 揮毫している。左碑側、碑陰の文字は鮮明で塀の外側からもよく見える。整斉とした楷書が清々しい。(図3碑字)(図4碑陰)


碑字(図3)

碑陰(図4)

 神道碑は貴人の墓の参道に建てられた顕彰碑で、明治10年勅令が発せられた木戸孝允(京都・霊山護国神社)に始まり、大久保利通(港区・青山墓 地)、大原重徳(台東区・谷中墓地)、岩倉具視(品川区・海晏寺)、広沢真臣(世田谷区・若林)、毛利敬親(山口・上宇野令香園)、島津久光(鹿児島・旧 福昌寺)、三条実美(文京区・護国寺)まで八基が建設されている。毛利公、木戸公、大久保公のそれは、明治末から大正はじめにかけて完成をみたが、ほかは 大正14年・15年に完成した。広沢公神道碑の場合も、明治16年(1883)に勅令が発せられてから大正14年(1925)に建碑されるまで実に42年 を要している。その辺りの事情は、近藤高史の『明治書道史夜話』が詳しい。

 広沢真臣は、徳川幕府の第二次長州征討の時に、勝海舟と休戦協定を結んだ人物で、以後長州藩政の中心に位置し、維新後は、いち早く新政府の参与と なり、明治政府の中枢を担った。民部大輔を経て明治2年に参議に任じられ、権勢をふるったが、明治4年1月9日に麹町の自宅で襲われ凶刃に倒れた。犯人逮 捕には異例の詔勅が発せられたと言うが、事件は迷宮入りし諸説紛々として事情はつまびらかでない。勅撰の碑文を推敲した高島張輔は、萩藩医の家に生まれ、 明治政府に奉じた。詩・書をよくし、弟に画家の高島北海がいる。杉山令吉については、川田甕江碑(本駒込・吉祥寺)で述べた。(3回・吉祥寺の碑林)


 若林公園に隣接した左隣には、明治から大正にかけて三度組閣した桂太郎の墓所がある。山縣有朋、大山巌を助けて明治陸軍の創建に尽力、台湾総督、 陸軍大臣を経て、宰相となった人で、日露開戦時の総理大臣として有名である。明治33年には拓殖大学の前身、台湾協会学校を創立している。萩藩の出身で大 正2年に逝去し、遺言により、松陰神社の隣に埋葬された。


松陰神社の書碑
 松陰神社(図5鳥居)は、安政の大獄に連座し刑死した吉田松陰を祭神とする神社で、明治15年に創建された。30歳で刑死(安政6年・1859)した松 陰は、最初千住小塚原回向院に葬られたが、文久3年(1863)に高杉晋作、伊藤博文などによって毛利藩別邸があったこの地に改葬された。


鳥居(図5)

 参道左側中程に乃木希典が寄進した「松陰神社道標」(明治45年建。世田谷通りから移設)や「徳富蘇峰植樹の碑」(図6)がある。「植樹の碑」明 治41年に発刊された蘇峰の『吉田松陰』を記念した植樹の際に建てられた楷書碑で「景慕英風植樹表誠 肥後學生」とあった。蘇峰は肥後出身である。参道の 右側には岸信介書の「明治百年祭記念碑」(昭和43年建)もある。


「徳富蘇峰植樹の碑」(図6)

 社殿前には32基の燈籠が林立している。毛利元昭、木戸孝允、山縣有朋、乃木希典などが明治41年に寄進したもので、燈籠の柱の部分に高田竹山の隷書で寄進者の名が刻まれている。八分隷に風格が漂う。(図7)


燈籠の柱(図7)

 社殿の右にある「松下村塾」の建物は、山口県萩市の松陰神社にある遺構を模したもの。塾は、安政4年11月に八畳間が完成、ついで手狭になったた め安政5年3月に十畳半が増築されたという。この二間の小塾に、二年半ほどの間に約90名の塾生が学び、久坂玄瑞、高杉晋作、木戸孝允、山県有朋、品川弥 二郎、伊藤博文など維新の逸材が輩出した。 社殿の左側に墓域があり、突き当たりの右側に松陰の墓がある。入り口の鳥居は木戸孝允の寄進で、柱に「大政一新三歳 木戸大江孝允」と刻まれている。奥に 進むと突き当たりに「吉田寅次郎藤原矩方墓」と刻んだ松陰の墓がある。隣には頼三樹三郎、小林民部少輔など志士の墓六基があり、墓域に建てられた「長藩第 四大隊戦死者招魂碑」(図8)は、桂太郎が明治37年に建立したもので、立派な隷題である。碑陰記は楷書で、桂の肩書きは陸軍大将とあった。


「長藩第四大隊戦死者招魂碑」(図8)

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