2013年12月 6日

書と科挙──平田茂樹『科挙と官僚制』

『科挙と官僚制』(山川出版社 1997)は、書と中国社会との関係について考えさせてくれます。
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本書は「世界史リブレット」シリーズの一冊ですが、「世界史リブレット」「日本史リブレット」は、素人が歴史研究の成果を簡単に眺めることができる便利なシリーズです。書の歴史を考えるうえでも興味深いタイトルが多く刊行されています。なんといっても安価なのがうれしい(平均80ページ、800円)。

宋以降の書家の伝記を読んでいると「**年進士……」という記述が頻繁にみられます。これはいわゆる科挙の制度の一つである「進士科」に合格したことを示しているのですが、なぜ官吏登用試験の結果が必ず記されるのか、なかなか実感できない人も多いかもしれません。しかし本書を読むと、科挙は中国の知識人にとって、大問題だったことがわかります。
科挙は、南北朝時代までの世襲制の貴族による官僚制度を改善しようと、隋代に導入され、宋代に完成し、清末まで行われた試験制度です。地方で行われる郷試から会試を経て、皇帝を前にした殿試まで、経書の暗記を中心にした試験を繰り返し、人口一億人のうち数万人(北宋)という超エリート官僚を作り出していきました。科挙というと、過酷な試験を通過すれば、官僚となって生活が一変し、すべてが手に入り、一族郎党が豪勢な暮らしをすることができる……、そしてそれは身分にかかわりなく、社会に開かれた公平な制度だというイメージがあります。
それは一面の事実ではあるのですが、本書はこの制度が単なる官吏登用試験であることを超えて、いかに「中国社会」の維持・再生産と不可分のシステムであったことを指摘しています。たとえば科挙は王朝による支配を正当化するシステムとして儒教的な教養を試験問題とすることで、徹底的に画一的な価値観を植えつけ、皇帝に忠実な官僚を生み出し続けました。またいかに公平だとはいっても、長きにわたる教育や受験勉強はそれを可能にする経済的な条件を必要とします。そして科挙を通じた師弟や同学関係が地域や官界での人脈関係の基盤となっていきます。この意味で科挙は一種の「文化資本」(社会資本と同様の役割を果たすとされる文化的な資産。社会学者ブルデューの用語)であったのでした。
そして唐代には任官に際しての試験では「身言書判」(体格風貌・流麗な弁舌・達者な筆遣い・文章力)が問われ、「正しい字形による楷書」が重要な要素でした。「干禄字書」が科挙の受験の参考用に作られたことは知られているでしょう。
このように考えてくると、書も「中国社会」の維持・再生産と不可分のシステムとして働いてきたことに気づかされます。日本でも「美しい手書きの文字」が社会的に重要だとみなされたりするのもその名残かもしれません。書が「自己実現の手段」として大きな価値を持っていると考えるようになったのは、ひょっとすると比較的近年のことかもしれないのです。
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目次
科挙と中国社会
科挙を理解するための視点
エリートへの登竜門
官僚昇進の仕組み
科挙合格のもたらしたもの
科挙の虚構と真実

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