2013年11月 7日

都市で書を発見する──杉浦貴美子『壁の本』

今回は写真集を取り上げます。都市歩きの楽しさを改めて教えてくれる『壁の本』(洋泉社 2009)は、書・文字とも無縁ではありません(と私は考えています)。
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『壁の本』は都市の壁を写したユニークな写真集です。ペンキが剥げ無造作に放置され、錆やしみや苔が侵食し、風にさらされた壁が、杉浦さんの発見によっておどろくほど新鮮で面白い画面に見えてきます。ターナーをひっくり返すとこんな感じに見えるんじゃないか、まるでエルンストとかアルトゥングのように見事な抽象画が見えてくることもあり、これはどう見ても李禹煥だ……、といったふうにいくらでも見立てが可能です。杉浦さんの壁の写真はウエブでも見ることができます。
http://www.heuit.com/

さて、この本に刺激されて都市の中の文字について考えてみましょう。
都市と書、というとたいていは名筆による看板のことが取り上げられます。もちろんそういう目的で歩くのも楽しいのですが、もう少し、「書」の幅を広げて都市を歩いてみてはどうでしょうか。
しばらく前に、画家・赤瀬川原平氏らによって「路上観察学会」というのが結成されたことを覚えている人は多いでしょう。都市の細部を観察することで、都市の歴史やその「無意識」や欲望を考えるという実践的な都市論でした。この見方を参考にして都市の文字を観察してみましょう。
都市にはじつにさまざまな文字が溢れています。看板から始まってポスターや役所の掲示、路上にも交通標識が書いてありますし、チラシやビラが踏みつけられて風に舞っています。ほとんどは印刷物ですが、手書きだったらこのブログでも何回か触れている落書きなどもあります。その書体やデザインを観察することで、例えば現代の書体の流行や人々の文字に対する意識などを発見することができるかもしれません。
さらにゆるーく考えてみると、文字でないものを文字と見立てて都市の中で発見する、というのはどうでしょうか。壁のひび割れや風になびく樹々が文字のように見えることがないでしょうか。
そんな痕跡や風景は都市についての注釈のように見えるかもしれませんし、それは都市の「無意識」が露わになったものかもしれません。
周知のように、顔真卿は壁のシミによって書法を悟ったという逸話もありますし(屋漏痕)、懐素は壁の割れ目によったという逸話もあります(壁拆)。そうした痕跡を書法とみなすことも可能なのですから、都市の中の文字ならぬ文字を発見することもあながちナンセンスではないのではないでしょうか。

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目次
Ⅰ 壁をあじわう
 壁アルバム/壁コラム
Ⅱ 壁としたしむ
 壁アルバムインデックス/壁素材を知る/壁鑑賞の手順

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