2013年10月12日

詩書が生まれる場所──鈴木修次『唐詩 その伝達の場』

鈴木修次『唐詩 その伝達の場』(1976 日本放送出版協会)は、唐詩がどのような形で書かれていたのかを考証する興味深い読み物ですが、唐代の書のあり方とも無縁であるとは思えません。 

本書は以前にも少し紹介したものですが、もう少し詳しく触れてみます。
現在でも展覧会で発表される漢字書で、唐詩、とくに杜甫や白居易の作品はもっとも多くとりあげられる文学作品ではないでしょうか。日本人にとっての漢詩というと、やはり唐詩のイメージが強いのでしょう。そのせいかどうかは分かりませんが、私たちは杜甫や白居易の詩も風景を見つめる孤独な思索のうちに生まれ、彼らも紙に向かって推敲しながら楷書で書いた、それは一編の完結した文学作品としてあったというふうに想像しがちです。

ところが、本書を読むと、唐詩はそのようなものとしてよりも、「場」のなかで生まれ、歌われ、聞かれ、書かれ、読まれるものでした。確かに現在私たちがそれらの詩を読むときには、多く紙に書かれ、印刷されたものとして読むわけですが、本書の序文には「原詩が紙にのるまでには、いろいろの偶然が働いているし、平面的に紙に記されるという場合とは違った、もっと立体的な空間的な場所が存在していた」とあります。

唐詩は社交の場、対人関係の中から生まれ、娯楽の詩、遊びの詩、情報伝達の詩、報道の詩などが中心であり、朗唱され、口承によって伝わったものでした。ある時は宴席で歌われ、またある時は手紙に添えて友人に送られ、現在のように書物の形で発表することを想定して孤独に書かれるものではtousi.JPGありませんでした。そのうちに写本として書き継がれ、どこかで書物となり、印刷されるようになったのです。ですから、一言一句正確な元のテキストなどむしろナンセンスです。それは口承と筆写を通じて無数のバリエーション(異本)を生んだはずで、それは木版印刷の書物が一般化した宋以降とはまったく違った環境であったはずです。

木版の印刷術が唐末に始まっています。本書によると白居易は自分の詩が本として出版されることにはじめて立ち合った人物ではないか、ということです。しかし唐代、そしてそれ以前には詩は書かれるものとしてはあったとしても、書物の形としては流通することは一般的ではなかったでしょう。

本書でもっとも興味深いのは、「題壁の詩」という章で、唐代の詩の発表は時に家屋や料亭、寺院などの壁に書くことで行われたという部分です。
こうしたことは六朝の昔から行われていたらしく、詩作品それ自体に詩を壁に書くことが詠われています。白居易の友人元稹は「楽天の詩を見る」という詩の中で

 忽ち 破簷残漏の処において
 君の詩の 柱心に在りて題すを見る

と詠っていて、左遷された元稹が、雨漏りのする官舎の柱に白居易の詩が書いてあったのを発見したというのです。この筆跡は白居易自身のものかもしれませんし、その詩がいかに人口に膾炙していたということを示すものかもしれません。有名な白居易の「石上題詩」も石の上に詩を書きつけたことを意味しています。

本書には清末の劉鉄雲『老残遊記』に、主人公が友人に「久しく君の詩を見ないが、今日は一つ詩を作って見せてくれないか。この壁は君の詩のために塗り直しておいたのだ」といわれ、自作を壁に記す場面があることが紹介されています。詩が生まれる場所は書が生まれる場所でもあります。いずれにしろ、壁に書を書きつける習慣があったことは、唐代の狂草流行などとも関連して興味深い事実ですし、詩書の即興性または(人と媒体の間に距離があまりないという意味で)直接性ということを考えさせます。

目次
一 唐詩の場
二 歌曲の詩
三 うたいものの詩
四 手紙の詩
五 題壁の詩
六 報道の詩

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