2013年7月 2日

書の言葉の宇宙──平勢雨邨・森高雲編『書法用語辞典』西東書房

平勢雨邨・森高雲編『書法用語辞典』西東書房(2009)は、書道の技法や表現、あるいは書道文化史に関わる言葉を中心に編んだ辞典です。この辞典では人名や作品はほとんど取り上げられません。

shoho_s.JPG


小説『舟を編む』が評判となり、映画化されています。小説は国語辞典をテーマにしていますが、もちろん書にも数種類の辞典・事典類が刊行されていて、私も関わった経験があります。何がテーマであろうと、辞書は一つの宇宙です。本書の編者も企画から20年以上にわたって、たいへんな苦労をされたようです。
本書は『精萃図説書法論』(全10巻)の最終巻として位置づけられるもので、既刊分は第1巻から第8巻が中国の歴代の書論書の訳と解題、第9巻が日本の書論によって構成されています。

書は、言葉(文字)そのものの実践として長く東アジア世界を支えてきたものです。そして書の批評や書それ自身の思想や技法や表現についても言葉で語られます。いってみれば書は二重の意味で言葉の宇宙です。ところが、書は言葉そのものであるからこそ、言葉では語りにくいという側面を持っているようです。たとえば、中国の「書論」に使われている言葉にかんたんには理解できないものが多いのは、書が実践的で身体的な行為に関わっているからだけではなく、書論が、言葉の形「についての」言葉であり、言葉によって言葉の形を捉えようとする行為だからではないでしょうか。書論は自分によって自分の中に折りたたまれていくような言葉なのかもしれません。このように考えると、「書論」を読む、つまりこの辞書に収められているような言葉を読むということは、書──言葉によっているものなのに、言葉を超えているような何か──を改めて言葉=文字によって形にするということではないかという気がします。
本書の序文には「書法の理解と修得には、言葉が不可欠である」と書かれています。

そうした言葉は、何となく意味するするところは分かるものの、曖昧模糊としているだけでなく、歴史の中で多義化し、複雑化していきます。分からないものには分からなくていい、といわんばかりに神秘的に語られることもあります。
こうした概念的なまたは技法に関わる言葉について本格的に整理した辞書はありませんでした。この辞典が初めてです。しかもこれらの言葉は「技法と表現」だけではなく、書の鑑賞(読む・見る)にも大きく関係していると思われます。

たとえば「天真」の項には「自然のままの純粋な本性。それがそのまま出ることが書の表現の理想である」とあります。しかしその境地は、それほど簡単なものではないはずです。それは言葉を超えた体験かもしれません。しかし言葉によって近づいていくよりほかないものでもあります。
また、「禿出法」という言葉が収められています。一見何の言葉か分かりませんが、解説には「戈法の中の「渋出戈法」を指す。画の上下を鋒を縮めるように書く」とあります。こうした言葉はなぜあるのでしょうか。
なぜ「禿」という文字が使われるのかは分かりませんが、こうした些末にも見える一つ一つの具体的な表現技法が最終的にこれまたいわく言いがたい「書風」を支えているのではないかと思います。「天真」といった抽象的な概念も「禿出法」のような細部の表現方法を言葉として積み上げた果てにようやく見えてくるのかもしれません。

具体的に古書論を読み解こうとするときにはもちろん有用ですが、本書は、ランダムに読み進めながら言葉の定義に触れて、書は何かと考えるためのきっかけをつかむためにも読むことができるのではないでしょうか。
ただ残念なのは、日本の書論用語にほとんど触れていないこと。第9巻で取り上げられた日本書論の語彙がもう少し収載されていてもよかったのではないかと思います。

 

shoho.JPG


目次
本書は50音順配列ですが、分野ごとにも検索できるように工夫されています。
分野一覧:
運筆
学書
結構
故事
字体
執筆
章法
書式
書体
書風
書法
書流
拓本
筆意
筆勢
表装
用具
用鋒
用墨
臨[莫/手]

同じカテゴリの記事一覧