2013年5月 6日

幻の良寛──池田和臣 萬羽啓吾編著『あきのの帖 良寛禅師萬葉摘録』

池田和臣 萬羽啓吾編著『あきのの帖 良寛禅師萬葉摘録』青簡社(2012)は、書跡の文献学的な観察によって、良寛その人が私たちにいっそう身近な人間として浮かび上がってくるような、そんな経験をさせてくれる本です。
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良寛が万葉集に傾倒したことは、広く知られているでしょう。良寛にとって万葉集がいかに大きな意味を持っていたかは、良寛が万葉集の歌を筆写したり、万葉集の版本に訓点を施したりしているところからも窺われます。良寛にとって、万葉集は歌だけではなくて、書風の形成にも大きな意味を持っていたようです。
ちょうど五合庵から乙子神社に移る時期、良寛は万葉集についての付訓作業・研究を通じて万葉仮名に対する理解を深め、その前後に「秋萩帖」を臨書したらしく、その過程で万葉集から好みの歌を抄出した「あきのの帖」が書かれたと考えられます。
良寛の書風を考える上でも重要な意味を持つ、「あきのの帖」には異本が存在し、従来から一般に知られているのは、日本画家・安田靫彦旧蔵の「安田本」です。今回本書で紹介されるのは、これまで取り上げられることはまれだった元三菱石油社長・竹内俊一旧蔵の「幻の良寛」ともいえる「竹内本」です。
良寛に傾倒することでは余人の比ではない骨董商の萬羽啓吾氏によってこの本は世に出たのですが、同書解題で中央大学教授・池田和臣氏は、歌の排列、誤写などを綿密に分析することによって、「安田本」は「竹内本」とほぼ同じ内容をもっていながら、「竹内本」こそが真蹟本で「安田本」が実は「竹内本」の写しではないかという仮説を立てています。その考証は強い説得力を持っています。

考証によって浮かび上がってくるのは、良寛の万葉集に対する深い愛着とあこがれだけではなくて、良寛が私たちに近い人だという実感─これはいってみれば良寛の「近代性」とでもいいうる面です。その筆致は平易な表現によって歌意に忠実であろうとする良寛の態度と同時に、現代の私たちにも実感できるような何かが宿っているようなのです。池田氏は解題の末尾に書いています。
「江戸時代には、近衛家煕をはじめとして、平安仮名古筆を愛好し、平安風の仮名を技術的に形式的にうまく書くことのできた書家は何人もいた。…それに対して良寛の仮名は、魂の震えのようなもの、ある種の近代的な悲しさのようなものがある」
有名な万葉歌「うらうらにてれるはるひにひばりあがりこころかなしもひとりしおもへば」の冒頭の「うらうらに」の部分の「あきのの帖」の良寛の筆跡を見ると、確かにここには私たちにも理解できる何か─柔らかい筆の当たりと簡素な字形が再現する、春のうららかさとぼんやりとした寂寥感─を感じないでしょうか。それは正岡子規や斎藤茂吉、釈迢空、若山牧水などに通じる微細さかもしれません。
写真版を通じても、その良寛の微細さにじかに触れるような感触が、この竹内本「あきのの帖」にはあります。


目次

『あきのの帖 良寛禅師萬葉摘録』(写真影印)
翻刻
解題(良寛筆 竹内本「あきのゝ」考/書誌と伝来/諸本伝来年表)

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