2013年4月 2日

中世における「書」を考える──新井榮蔵『「書」の秘伝』

arai_201304s.JPG
新井榮蔵『「書」の秘伝』平凡社(1994)は中世における「書」あるいは「書くこと」の意味を考えさせてくれます。





私たちは、現在筆と墨を使って文字を書くことを「書」とか「書道」と呼んでいますが、日本では近代になるまでは、「入木道」と呼ぶのが普通でした。「入木(じゅぼく)」とは、王羲之、または空海が板に文字を書いたところ、三寸あまりも木の中に墨が通っていたという伝説によるものです。

現在、私たちは「書」という行為を芸術表現の一分野だと思うことが一般的になっているかも しれません。芸術史としての「日本書道史」では平安の仮名書が日本美の典範としてもっとも高く評価されて、とくに鎌倉後期以降は、多くの書流が立てられ、書風が定型化していく──というのが大方の評価のようです。それは一面でその通りかもしれませんが、平安時代が終わってしまっても、人々は営々と筆と墨で 文字を書き続けていたのですから、そのことを考える意味はあるでしょう。近世いっぱいまでは、筆と墨で文字を書くことがごく一般的な行為だったのですから、当然、「書」のあり方もずいぶん現在とは異なっていたはずです。

arai_201304.JPG


古今集の研究者である新井榮蔵氏によるこの本は、1993年に国文学研究資料館が行ったセミナー「原典を読む」の中の「国文学と書道」という講義の記録です。おもに12世紀以降の「入木道」についての文献を通じて中世における「書」を考えるのがテーマです。
こうした「入木道」の伝授書は、公家社会の儀式における書の揮毫について、たとえば屏風や門額などをどのように書くか、またその心得などが記されていました。それが家の中で「秘伝」として伝えられてきたのです。14世紀の尊円親王による書論書『入木抄』はその代表格です。
著者が強調するのは、この時代における「書の日常性」ということです。つまり、「書」は現在の社会ではどちらかというと非日常的な行為としてありますが、この時代の公家社会にとっては「言語生活の基盤」であったということなのです。そのことの一つの現れとして、公家の日記から興味深いことが分かります。それによると、公家はだいたい六、七歳頃から手習いを始めるのですが、成人してからも、古典籍の書写が日常的に大きなウエートを占める習慣としてあり、毎日かなりの量の文献を書き写しています。この行為は古今和歌集や源氏物語をはじめとする書物をまずなにより読むため、そして書物として伝承する意味を持っています。三条西実隆は古今集約1100あまりの歌をだいたい5日間くらいで書き写したということです。ひるがえって、現在の私たちの言語生活の基盤は何でしょうか。

こうした中世の公家の「入木道」のありかたは、私たちがぼんやりと考えている「定型化した(つまらない)書」というイメージとは 大きく異なっています。むしろこの本に描かれる中世は、ひたすらに「書く」ことで成り立っていたのではないかと思わせ、「書くこと」が言語生活の基盤で あった社会とはどのようなものだろうと想像をかき立てられるのです。日本書道史研究の側からこのような本が書かれないのを残念に思います。


目次
第一講 入木道──かくも不可解なもの
 はじめに
 田安徳川家と曼殊院の入木道伝授書
 「シナの百科事典」と入木道
 伝授による文化の継承
 まとめ

第二講 歴史の中の書く営みについて
 はじめに
 書と霊力と、帝王と天皇
 『古今和歌集』から『実隆公記』まで
 書の日常性
 まとめ

第二講 入木道の伝授書を読む
 はじめに
 生きている文字
 入木道が語る書の秘伝
 入木道が伝えんとした書の心得
 国文学と入木道
 まとめ

同じカテゴリの記事一覧