2008年2月 3日

石田栖湖先生

比田井南谷は、天来のお弟子さんたちからは兄弟のように大事にされていたが(先生の息子なんだからしょーがないわね)、書壇での付き合いはあまりなく(展覧会やパーティーにもほとんど出かけなかった)、家に書壇の方々がいらっしゃることもほとんどなかった。政治的なことにはまったく無頓着だったから、行く意味がなかったのかもしれない。

例外が、第一回に書いた伏見冲敬先生、今回の石田栖湖先生、そして岡部蒼風先生である。

書学院出版部で盛んに本を出していた頃、月の一定の時期になると、石田栖湖先生からお電話をいただいた。「もうすぐ雑誌の締め切りだから、新刊の広告を送ってね。」

つまり、南谷の仕事に注目し、また経済的にたいへんなことを理解して、毎号に書学院出版部の新刊案内を載せてくださっていたのだ。そういう方はほかにいない・・・。

そう頻繁ではなかったけれど、よく家にも遊びに見えた。お酒を飲んでは話に花が咲き(どうしても南谷とお酒は切り離せない)、書壇の方々の辛らつな批判が飛び出した。親しい人であろうが、尊敬している人であろうが、天来のことであろうが、そして互いのことであろうが、めちゃくちゃにけなすのだ。そして、言い方が的確だと、二人で大爆笑。権威も何もあったものではない。

石田先生の雑誌も、ちょっと変わっていた。ふつうの教書雑誌は、年月を重ねると順に段級があがるのだが、ここでは、作品があまりよくないといつまでたっても段級は上がらず、逆に落ちたりしたらしい。実力者が育つのはいいことだが、上達することに熱心な人はそうはいない。会員が減少するのは目に見えているではないか。

石田先生と父との共通点のひとつが、いたずら好きだ。天来もそうだったらしいが、ちょっとしたいたずらをして、他人が困っていることを好む癖があった。

父と同じように、私も展覧会などにあまり行かなかったので、石田先生の作品を知ったのは、実はずっと後のことだ。先生の「日本書人連盟」の展覧会にうかがうようになり、石田先生の、どこまでの澄み切った、そして引き込まれるような深さを持った、独特の世界を知った。

臨書 1.jpg

1982年に発行された『石田栖湖臨 地黄湯帖・皇甫誕碑』(日貿出版社・古碑帖臨書精選)という本がある。皇甫誕碑のもつ厳しさの中にも、先生独自の平静さに裏付けられているではないか。

 

数年前、ある展覧会のパーティーで、一人の女性に声をかけられた。読売系の方だったと思う。

天来書院の『石田栖湖作品集』を買って、石田栖湖という人の作品のすばらしさを知りました。ありがとうございました。

日展や読売展を中心に作家活動を続ける方々にとって、石田栖湖という作家を知るチャンスなど、まずないだろう。先生の作品集を発行し、そんな方に、石田先生の独自の世界を知らせることができたことは、本当によかったと思っている。

石田栖湖作品集  皇甫誕碑  天来自然公園の石碑

 

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