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比田井南谷レポートレポート   Vol. 10-1 1957(昭和32)年 前衛書作家協会の創立(1)

Vol. 10-1 1957(昭和32)年 前衛書作家協会の創立(1)

1945(昭和20)年8月15日、日本は長く続いた悲惨な戦争に敗れ、混乱と先の見えない不安に包まれていた。その中で伝統的な価値や思想の桎梏から解放され、自由を求め新たな活動も芽生えていた。

書においても、因習に捉われた保守的封建的な体質や修養的性格から脱皮して、自由な芸術創造として生まれ変わろうとする書家たちがいた。保守的伝統派からは「書」ではないと批判や糾弾されながら、彼らは「前衛」と自負しながら自由な活動をつづけた。戦後10年以上を経過して、彼らは「前衛書作家」として繋がり、書芸術の発展を期することとなった。

日展

1948(昭和23)年、日展(日本美術展覧会)に「第5科 書」が開設され、豊道春海の呼びかけに応じて伝統派から現代派(前衛派)までが幅広く参加した。1951(昭和26)年、上田桑鳩は「愛」と題した二曲屏風の作品を出品した。この作はあたかも「品」という文字に見えるが、はいはいする自分の孫の造形だという。この作品はタイトルと書字内容が不一致であると、日展当局から好ましくない書として物議をかもすことになった。さらに、1953(昭和28)年、大澤雅休の遺作「黒岳黒谿」(委嘱作品)が陳列を拒否された。背景の空間に墨の飛沫が一面に散らされていることが、日展運営作家の書の規範意識に抵触したといわれる。1955(昭和30)年に上田桑鳩、翌年宇野雪村が脱退し、現代系はすべて去って、日展の「第5科 書」は伝統的なアカデミズムの牙城となった。

上田桑鳩「愛」
大澤雅休の遺作「黒岳黒谿」

毎日書道展

毎日書道展は日展と同じく1948年に創設され、伝統系から前衛系の書家を束ねる唯一の全国規模の書道展となった。運営に力を発揮したのは金子鴎亭・手島右卿・上田桑鳩・宇野雪村らの戦前の「書道芸術社」にルーツを持つ作家たちであった。特に、日展を脱退した上田桑鳩率いる「奎星会」が前衛表現を繰り広げた。毎日書道展の内部でも、文字を書かない前衛書は伝統系の書家から激しく糾弾され、1958(昭和33)年から「毎日前衛書展」として切り離されることとなった。

墨人会

1952(昭和27)年、森田子龍は井上有一・江口草玄・関谷義道・中村木子とともに京都で「墨人会」を結成した。文字にも絵画にも位置づけされない表象を創造して、書と美術とを越境する新たな前衛芸術を志向する活動であった。戦前から抽象美術の擁護者であった画家の長谷川三郎と京都大学の禅思想の研究者久松真一、美学者の井島勉らの後ろ盾のもとに、書芸術の新たな方向を模索していた。機関紙「墨美」には、たびたび西欧の抽象芸術家が取り上げられた。フランツ・クライン、ピエール・アレシンスキー、スーラージュ、マーク・トビーなどが代表的である。森田子龍や井上有一はこれらの画家たちと親交を結び、国際的にも有名となり、盛んに海外展に進出した。「前衛書」はブームとなり、「墨象」とか新しい書とか、様々に呼ばれた。

「墨美」創刊号
第2号 表紙

比田井南谷

1945(昭和20)年、敗戦後の日本で、初めて「文字を書かない書」を制作し、翌年美術展で発表して大きな反響を呼んだ比田井南谷は、以降、「前衛書の旗手」として、革新的な作品を生み出し続けた。1956(昭和31)年の最初の個展開催を契機に父天来の高弟や前衛系の書家たちをつなぐ「要(かなめ)」として、活動した。

「電第2」(1951年)比田井南谷書

*比田井南谷は明治、大正と書道界に重きをなした比田井天来の息子。父の古典書道とはまるっきり反対に現前衛書道界のチャンピオンとして活躍している。

南谷の発言を紹介する。

昭和31年(1956)4月 比田井南谷  天来記念第1回前衛書展

 

2月に開いた私の個展で、書道界ばかりでなく特に絵画関係の方々が熱心な関心を示され、親切でしかも鋭い批判をして頂き大変感謝して居ります。その際一番の問題は、前衛書とは何か、墨象は絵なのか書なのかというところから、一体書とは何かといった根本問題まで反省を求められたのであります。

一部の方々は、書というと精神修養とか或いは何か神秘的なものに受け取っている傾向があると思います。つまり書を美術というよりは寧ろ即興的に出た人格という様に解し、技術を否定した余技的なものと思われやすいのであります。勿論書が芸術であるからには、人間内容は主要な問題であります。然し書家である私共が、用筆法や結体構成を工夫し、材料を考え、古碑帖を研究して筆力を養い、この様な技術の錬磨を通した制作活動の中に、その人が現れるのだと思います。深い人間内容と高い技法の合流するところに、価値のある作品が生まれるのであると考えて居ります。

勿論法に捉われ、末技に溺れている者は、高僧の書や偉人の遺跡の前に慚愧すべきでありましょう。然し何故に慈雲が用筆の妙を得るために藁筆を用い、顔真卿ほどの名手が張旭の用筆法を知るために苦心惨憺したかということは大いに考えなければならないと思います。

次に前衛書というと、これまでは墨象の代名詞の様に考えられていますが、私は最近新しく発展して来た近代詩文――現代の人々に理解されやすい文学を素材とした書の意――も、当然前衛書と考えております。在来の書は文学的要素と結びついて発展して来ましたが、今新しい角度から近代の詩文と結びつこうとする『近代詩文』の運動も『墨象』とともに重視すべきものであろうと思います。これは丁度音楽の分野に於て、声楽や歌劇の新しい仕事が盛に行われている様に、このジャンルの発掘が望まれるのであります。

さて、父天来はその一生をかけて書が芸術であることを唱導し、自らも精神内容を重視すると共に古碑帖や用筆法の研究に力をそそぎ、明治、大正期に於ける書道発展の基礎を築くために尽力しました。今日の芸術書の発展と書道教育面の展開に重要な役割を果したものと考えられます。

この点を銘記し、ここに高弟としてその理想を継ぎ、前衛の書を華々しく展開させつつある上田桑鳩(墨象)、金子鴎亭(近代詩文)両先生の賛助出品を仰いで、私達両名の勉強の跡を御高覧に供し、皆様の忌憚のない御批判と御指導をいただき、併せて書に対する色々な根本問題に対して御教示賜わり度いと存じます。

以上、若干所感を述べましたが、前衛の書が生まれ、これが機縁となって書というものが芸術の分野に広く浸透されようとしている今日、私達は大いに思考し、反省し、方向を謝らぬ様にしたいと念ずるものであります。

昭和31年 4月 比田井 南谷

展示内容
 1.比田井天来の線(フォトモンタージュ)
   数点
 2.上田桑鳩(墨象) 2点
   〃 (陶芸) 4点
 3.金子鴎亭(近代詩文)
   二曲屏風他 4点
 4.比田井南谷(墨象)
   心線作品第一(1945年)より近作まで 10点
 5.比田井小葩(近代詩文)
   1955年作より近作まで10点

金子鴎亭「海雀」

昭和32年(1957) 3月   天来記念第2回前衛書展

 

前衛書の萌芽は、比田井天来の進歩的な芸術精神にあったといわれています。前衛書が書道界のみでなく、日本の抽象美術に特に深い交渉を持つようになった昨年、天来記念第1回前衛書展を開催しました。その際上田桑鳩・金子鴎亭、両天来門下の賛助出品を仰ぎ、私共の作品を清鑑に供しました。墨象に、或は近代詩文に、或は天来の線による作品によって、墨象等に関する根本問題に至るまで、その解明と反省の為に、書家は勿論、絵画関係の方々や詩人其他多数加わって下さり、非常に有益で充実した機会を持つことが出来ましたことを感謝して居ります。

ここに第2回展を開催することになりましたが、今回は天来に最も関係深く、且つ前衛書の当初から最先端に活躍している6人の作家の招待出品に過半の壁面を当てました。ともに現在主として各前衛団体の代表的立場にあり、新しい書道の創造に邁進していられる方々であります。従来は書道界の事情で一堂に展観される機会が少なかったのでありますが、今回は天来につながる機縁により、皆心から喜んでこの企てに賛同され、殆んど新作を出品されることになりました。謂わば現在の前衛書のあらゆる傾向の特質を示す高度のものになることが期待され、誠に歓喜に堪えない次第であります。御高覧を待ち上げます。

昭和三十二年三月 比田井 南谷

招待出品
 上田桑鳩(奎星会)
  墨象 三部作「平和」、他一点
 宇野雪村( 同 )
  墨象 二曲屏風「空寂」、他二点
 岡部蒼風(草人社)
  墨象 作品47-2、他三点
 金子鴎亭(随鷗社・日本書道美術院)
  近代詩文 未定
 武士桑風(平原社・書道芸術院)
  墨象 三部作「太陽の神話」、他一点
 森田子竜(墨人会)
  墨象 「拓野」、他二点

出品目録

 比田井南谷
  墨象 1957-3、他数点
 同  小葩
  近代詩文「クロツグミ」、他数点

この1957(昭和32)年3月の「第2回前衛書展」の直後から、「日本前衛書作家協会」の設立の機運が高まってきた。

昭和32年 8月 日本前衛書作家協会の創立

創立の趣旨

趣意書 昭和32年5月

 

書に於ける革新的な動き――いわゆる「前衛書道」も、その始動以来早くも十年の歳月をけみすに至りました。

この間、激動する社会情勢の中を、いまだに根づよい書壇の因習性と対決しながら、制作に、開拓に、紹介に、多くの人々が極めて充実した活動をつづけてきましたが、ようやく今日国内はもとより、海外にまで書道の世界にはいまだかつて見られなかった新しい領野が開かれつつある段階に立ち至っております。

しかし、深く省察するとき、前衛書それ自身の裡にも根本的に解決されなければならない多くの重要課題が内在し、革新運動の内、外辺にも積極的に打開しなければならない幾多の難問題が横たわっており、これから先にこそ一層の苦難の道が予感されます。

このような内的、外的事情にかんがみ、近来相互間に何らかの連絡機関を設けて、今までの孤立分裂状態に新しい関係を実現すべしとの要望が高まって来ておりますので、われわれ一同相はかり、ここに別紙規約(案)によって相互の連絡と利益擁護を主目的とし、かつ前衛運動の更に活発な展開を促進するための「日本前衛書作家協会」(仮設)の創立を企図した次第であります。

ついてはこの際貴下には会員として御尽力いただきたいと存じますが、右の趣意御了承の上何卒御快諾下されたく御願い申し上げます。

昭和三十二年 五月

 

日本前衛書作家協会創立発起人
 井上有一、岡部蒼風、小川瓦木、香川春蘭、小林竜峰、武士桑風、中島邑水、萩原冬珉、比田井南谷、森田子竜

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