「隊長、私(詩)的に書を語る」は、比田井義信(1953年生まれ・私の弟です)が母、比田井小葩を回想しながら、小葩の書を語るシリーズです。

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2024年10月14日から「時々南谷」を追加して、比田井南谷の文字作品も紹介しています。



恋語る
魚もある べし
春の 海


佐藤春夫の句です。

この写真が一枚残されていました。

なんだかほのぼのとした書きっぷりですね。

たっぷりとした線なのに、きちんとした印象を感じさせる不思議な作品です。

裏打ちしないまま写真だけ撮っておいたのでしょうか。

でも僕は好きなので紹介させていただきました。

のたりのたりかな?の感じです。


お正月のおもちは、大家族だったせいで暮に伸し餅が三枚、和菓子屋さんから届きましたが、すぐに切るとくっつくのでしばらく置いてから切ることになっていました。

みんな忙しいので、気が付いたころにはかちかちになりかけて大きな菜っ切り包丁で、大騒ぎで切っていました。

三が日を過ぎると水につけた水餅にしてありましたが、なんだかすぐに、カビがはえました。

青いカビはペニシリンのもとだから取れば平気などという強引な理由でこそげ取っていましたが、今では考えられない時代でしたよね。


そしてもう一つ、大きな鏡餅が玄関に飾ってありましたが、当時1958年とかには真空パックなどなかったので、乾き放題でしたから、鏡開きの頃にはひびだらけのやばい姿でした。

たしか包丁を入れるのはご法度だとかで、金槌でたたいてもこなごなになるだけで、焼いても硬くておしるこの餅にはどうもダメだったような覚えがありますが、結局水餅の残りが入ったようで、粉々はおかきになりましたが、昔の人はどうしていたのでしょうね。



小葩の作品は表具する前の写真しか残されていませんが、素朴な表現で、なんだかお正月にふさわしいような気がします。


昭和30年代のおもちはたいへんでした。

いまは個別に包装されて一年以上保存できますが、昔はすぐにかびてしまうので、水につけていました。

練り辛子といっしょに保存すると長持ちすることがわかったのは10年以上たってからです。

それにしても、昔はおもちをたくさん食べました。

何枚食べたか、学校で自慢したりしましたね。

素朴な時代がちょっとなつかしい気がします。


イタリック部分は比田井和子のつぶやきです。