雑誌『墨』最新の292号をご覧になりましたでしょうか?

この中の「視点・私の見た昭和の書」に、私も一文を書かせていただきました。

依頼内容は、5つの質問に答える形で昭和の書を概観するというもの。

どなたの作品にするか迷いましたが、今の私が残しておくべきなのはやはり比田井天来の事績だろうと思い、天来・小琴・南谷・小葩にしました。


私が選ぶならこの作品!

このブログでもご紹介したいと思います。


比田井家の菩提寺「宝国寺」(長野県佐久市)は、遠く天来生家を見下ろす小高い丘の上にあります。

その境内に建っているのが、天来最晩年の書「慰霊之碑」です。


無人の林中に、この名碑は忽然とあらわれる。

破顔、髭を撫し、「待っていたぞ」と言わんばかりのおおらかさは何か。

桁のはずれた楽趣である。

碑陰の行書にことばを失ってみほれた。

(駒井鵞静著「全国書の名蹟めぐり・東日本編」1987年・雄山閣出版)


この碑の前に立つと、いつも駒井鵞静先生のこの文章が浮かびます。

晩年の羊毛筆、俯仰法の特徴を遺憾なく発揮し、融通無碍、緩急の妙を尽くした天来の代表作だと思います。

長野県佐久市と上田市にある比田井天来が書いた石碑はこちら


比田井小琴「箏曲」

小琴は、夫、天来より13歳年下のかな作家で、天来の指導のもとで研鑽を積み、教科書を執筆するなど活躍しました。

晩年、筆草を使った一連の作品を書きましたが、「渋さ」ともいうべき趣きが加わり、それまでの作風とは一線を画しています。

古筆変遷の集大成といえる作品です。

小琴と筆草に関するブログはこちら


ニューヨーク近代美術館(MoMA)所蔵の「作品63-14-3」。

タイトルの意味は「1963年に書いた14番めの作品の3番め」。

文字を書かないのみならず、作品から文学的な要素を徹底的に排除した結果です。


南谷は1959年に最初の渡米をしましたが、1960年のニューヨークの個展が評判を呼び、MoMAを初めとする著名コレクターが作品を購入しました。

上の作品は1963年の第二回渡米の折にたずさえていったもの。

二種類の古墨を磨りまぜた線の立体的表現は、欧米で人気を博しました。

空間を広く抱き、力強いリズムを感じさせる作品。

さすが、MoMA所蔵だけありますね。

南谷のオフィシャルサイトはこちら


「昭和の代表作を3点ほど」が「4点」になってしまいましたが、私が『墨』読者に一番紹介したかったのは小葩なんです。


小葩(しょうは)はクリスチャンの家に生まれました。

小琴のもとでかな書道を学びましたが、南谷と結婚後は金子鷗亭先生の創玄書道会に所属して、近代詩文書作品を数多く発表しました。

あどけなさをたたえた書風は独特かつ多彩で、書壇でも例を見ません。


比田井家には自由な雰囲気がありました。

でもその裏を返せば、人真似を許さない厳しい環境でもありました。

そのような家庭に嫁いだ小葩は、自分独自の世界を深めていくことになったのです。

作品を書くときの気持ちを正直に吐露したこの作品は、小葩にとって、書の原点とも言えるもの。

58歳で他界してしまいましたが、もっと長生きしたらどんな作品を書いていたのでしょう。

比田井小葩のオフィシャルサイトはこちら



昭和の書はまさに変動の時代を迎えていました。

戦争、そして敗戦。

漢字の存続さえも危ぶまれる中、書の本質を問い、新たな世界を切り拓いた作家たち。

私のまわりにも、比田井南谷をめぐる賛否両論の激しい議論がありました。

しかし活気にあふれた革新の波はやがて権威と化し、社会秩序の中におさまっていったのです。


『墨』編集部から届いた最後の質問は


昭和の書から受け継ぐべき要素?

そもそも昭和の書は、前の時代を受け継ぐのではなく、否定したと言えるのではないでしょうか。

惰性と化した書の常識をくつがえし、新しい未来へと果敢に立ち向かっていった昭和の書は、輝いていました。


書はこれからどんな道を進んでいくのでしょう。