今回は、比田井天来が書いた書論の中から、「生書(せいしょ)と熟書(じゅくしょ)」をご紹介します。
この論文は、1931年、自ら主宰する雑誌「書道春秋」創刊号に掲載したものです。
掲載当時は旧活字・歴史的仮名遣いでしたが、次男、比田井南谷が校訂して常用漢字、現代仮名遣いに直した『書の伝統と創造ー天来翁書話抄』(1988年・雄山閣出版発行)がありますので、ここから抜粋しました。
ウェブ上で読みやすいように一文ごとに行を変え、内容が変わるところでさらに一行あけました。
あらゆる芸術作品にそれがあることと思いますが、書には生熟の両面があります。
これは芸術的な書を学ぶうえにも、またそれを鑑賞し、かつ鑑別するうえにも知っておかなければならぬ必要なことでありますから、以下生書と熟書ということについて述べてみることにいたします。
生書とはナマな書、ウブな書、未熟な書ということであり、熟書とは熟練した書、てなれた書ということになります。
子どもの書いた書は生書で、専門家の書の多くは熟書であります。
子どもの書は未製品であるが、どこかウブなところがあっていや味などというものは少しもない。
専門家の書はうまいが、そのうまい熟練したところから、変化のない一調子の書になりたがる欠点が生じてくるのであります。
さらにわかりよく柿にたとえて申してみますと、渋いのは生書で、熟したのは熟書であります。
渋いのは悪いけれど未来があります。
甘く熟したのはよいけれども、一歩進めば爛熟して腐敗に向っていく。
書も学ばないで生硬なままでは価値はない。
どうしても学んで熟練していかなければならぬ。
学んで熟練を進めていけば熟が過ぎてどうしても爛熟する。
さてどうしたらこれを救うことができるか。
渋柿はついに熟柿となり、腐ってしまうのが当然でありますから、いかんともすることはできませぬが、書は爛熟しようとするときに渋味を注射して生にかえすこともできるし、また熟させることもできます。
生にかえしても学んでいればまたすぐに熟しますから、ときどき生にかえす必要があります。
熟した後の生は、はじめの生とは趣を異にし、芸術価値に大なる相違のあることを知らなければならない。
この生熟二道を進んで大成していくのであります。
古人の書にも生書に属する部分の多い大家もあり、また熟書に属する部分の多い大家もあります。
顔真卿の書などは生書を代表するものでありますが、熟後に生を求めたものであるから、文質兼ね備わるというところがあります。
王羲之などになりますと、この生と熟とがしばしばくりかえされる間によく混和して、生書でもなく熟書でもなく、文質彬々よく中庸をえたとでも申すべきものであります。
熟書を代表するものは、元の趙子昂(ちょうすごう)でありますが、これは熟しただけで生の気分が欠けております。
文が余りあって質が足りない。
悪くいえば俗書であります。
元の書家としては趙子昂と鮮于枢(せんうすう)とが有名でありますが、今日から見ると鮮于枢はたいした技倆ではない。
この二人とほとんど同時代に、楊鉄崖(ようてつがい)という人があります。
一般にはあまりやかましくいわれていない人でありますが、このひとの書にはあの時代としては感心に、熟後に生を求めたところがあります。
したがって書の格からいえば子昂などよりもよほど高いものであります。
同時代の二家がかくのごとき対照をなしているのはおもしろいと思います。
書道全集(平凡社・旧版)の十九巻には、この二家の書がかなりたくさん出ておりますから、比較研究して、生書および熟書ということを会得されるよう希望いたします。
(後略)
天来は書、とりわけ書の古典のすばらしさを、できるだけ多くの人に知らせたいと考えていました。
そのためにこの論文でも、書の生熟を柿に例えるなど、わかりやすいように工夫しています。
趙子昂について、ここでは悪口ばかり書いていますが、実用書の手本としては優れていると言っています。
自ら発行した古典のお手本集「昭代法帖」にもとりあげていることを付け加えておきましょう。
もう一つ忘れてならないのは、天来の書論は常に実践と共にありました。
1930年、古典33種の臨書集である「天来習作帖」を刊行しましたので、関連の臨書をご紹介したいと思います。