開催中のパリオリンピックでは日本選手が大活躍。
中でも柔道がすばらしい成果をあげています。
柔道といえば、講道館を創設した嘉納治五郎を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。
嘉納治五郎と比田井天来の間でかわされた書簡が残されているので、これをご紹介したいと思います。
まずは、比田井天来から嘉納治五郎に宛てた書簡です。
2010年に佐久市立近代美術館で開催された「新市発足五周年記念特別企画 現代書道の父・比田井天来」展で展示したものです。
図録はこちら。
山内常正氏に釈文をお願いしたので、これもあわせてご紹介します。
謹啓。先夜ハ、罷出浅薄那る
講話申上愧入申候。然處、大ニ
御厚遇を蒙り、不図長座
仕候為、遠方迄御送り被下、重々
恐入候。井々先生詩集題簽
早速揮毫差上可申之處、
此間中風邪にて臥床罷在候為、
延引仕申譯無之、別帋数葉
相認申處、無類ニ六ケ敷字にて
甚拙劣恥入申候。可然、御取捨願上候。
二月廿四日
嘉納先生 比田井鴻
拝啓。先夜は、罷り出で浅薄なる
講話申し上げ愧じ入り申し候。然る所、大いに
御厚遇を蒙り、図らず長座
仕り候為、遠方まで御送り下され、重ね重ね
恐れ入り候。井井先生詩集題簽
早速揮毫差し上げ申すべきの所、
此の間中、風邪にて臥床在り置き候為、
延引仕り申し訳けこれ無く、別紙数葉
相い認め申す所、無類に難しき字にて
甚だ拙劣恥じ入り申し候。然るべく、御取捨願上げ候。
嘉納治五郎からの依頼で、天来が講話をしたようです。
歓待を受け、ついつい遅くなってしまい、鎌倉まで送っていただいた様子。
飲みすぎたのかしら・・・・・。
依頼されていた「井井先生詩集題簽」をしたためました、とありますが、八点が同封されています。
とても難しい字で、うまく書けず申し訳ないとあやまっていますが、こんなにたくさん書いたのですね。
天来の几帳面さがうかがえます。
「井井」と「井々」が混在していて、苦労の跡が見えます。
これに対する嘉納治五郎の返事です。
さて?
過日は井井賸稿の題字御認
め被下早速御郵送忝く奉存候
然る尓扉尓も同一の文字を
刷込表紙と詩稿との間
尓差かへ度更尓は同一の
大サ尓ては都合不宜写真石
版尓する間合無之不得止
更ニ今一葉左の大サ尓
一寸七分× 五寸
井井賸稿
右の形の紙尓一杯尓御認め
儀願間敷は木版尓しても
漸く間尓合ふかどうか
と申位故甚恐入候へ共
来る月評御書技の序
御携帯被下度若し右
御無理尓候はヽ御一報被下度
何か他に便法講し可申候
右御依頼まで
草々不盡
三月七日 治五郎
比田井天来先生
過日は、井井賸稿の題字、御認め下され、早速御郵送忝く
存じ奉り候。然るに、扉にも同一の文字を刷込み、表紙と
詩稿との間に差しかへ度、更には同一の大きさにては都合
宜しからず、写真石版にする間合い、これ無く止むをえず、
更に今一葉、左の大きさに
一寸七分× 五寸
井井賸稿
右の形の紙に、一杯に御認め儀、願い間敷くは、木版にし
ても漸く間に合ふかどうかと、申すくらい故、甚だ恐れ入
り候へども、来る月評御書技の序(ついで)、御携帯下さ
れ度、若し右、御無理に候はば、御一報下され度、何か他
に便法講じ申すべき候。右御依頼まで。
扉にも題字を印刷したいので、一寸七分× 五寸のサイズに、もう一度「井井賸稿」と書いてほしいという再依頼です。
「井々賸稿」ではなく「井井賸稿」にしてほしいと、さりげなく頼んでいます。
この二通の書簡からは、二人の遠慮のない親しさが伝わってくるような気がします。
もう一つ、大正七年に作られた「書道館建設趣旨書」にも、嘉納治五郎の名前が見えます。
前半部分には、天来が収集した墨蹟碑版を収蔵する研究機関「書道館」(書道館は後に「書学院」に改められます)を作ろうとしているので、これをたたえ、広く紹介したい、という趣旨が書かれています。
推薦状ですね。
後半には、推薦者一覧があり、六番目に嘉納治五郎の名前があります。
この推薦者を見ると、書道界だけではなく、政治家や文化人など多彩な人々が書を大切に思い、天来を応援していたことがわかります。
天来が書学院を作ろうとしたのは、書の古典名品のすばらしさを多くの人に伝えるため。
古典を直接学び、誰の真似でもない、自分独自の書を書くことこそが、書の本道だと考えたのです。
このことを、もう一度考え直す時代が来ているような気がしています。