比田井小葩(1914〜1972)は、1948年に比田井南谷と結婚。
独特の抒情的な書風は、書壇でも注目を集めました。
「隊長、私(詩)的に書を語る」は、息子、比田井義信(1953年生まれ)が母を回想しながら、小葩の書を語ります。
比田井小葩オフィシャルサイトはこちら。
ばらくずる
はげしきことの
おこるごと
比田井小葩が第一回創玄展に出品した作品です。(1965年)
お祝いの第一回に何て挑戦的な言葉をえらんだのでしょうか。
偉いのは、金子先生と真逆な雰囲気の作品なのに、よく見ると線は温かく、まとまりがあり、勢いで書いたのではないのがよくわかりますね。
私が大学生のころ、母が亡くなって何年か過ぎた時に、父(南谷)と用事のために車で東京に出かけて、新橋あたりの交差点で信号待ちをしていた時に、突然父がちょっと待っててと言うと、車を降りて向かい側に渡って何か買ってきたのです。
はいっと渡されたのは、子供のころによくおみやげで家にあった、楊枝に3個ささったお菓子だったのです。
あ、これは父が買ってきていたんだとその時初めて知ったのですが、記憶ではちょっとぽそぽそしていまいちだったような、、
家で食べてみると、やっぱり、、
父はビールと合わせている、 なるほどね!
ということで、家にあったおみやげは、展覧会の帰りのおみやげだったということに気が付き、色々捜し歩きました。
母が買ってきてくれたのは、上野だった時には、チェーン化する前の京樽、ちゃんと口が絞ってある茶巾寿司と海老、穴子、玉子の押し寿司と小さい串に刺さったいなりの折詰め。
日本橋高島屋では、あかとんぼのサンドイッチ、ローストビーフ、ハム、玉子、トマトなど。
日本橋三越なら福槌(現有職・注¹)のちまきずし、これが高いのであんまり沢山なくて、取り合いになっていましたが、鯛、海老、ひかりものなどみんなが取り合う中で、僕が一番すきなのがすり身入りの玉子だったので、取り放題でした。
時々崎陽軒のやきめしもあって、次の朝フライパンで温めなおしたのがなんだかおいしかったのですが、あれはどこで展覧会があったのでしょうかね。
そうそう、母はしょっちゅうお土産を買ってきてくれました。
あの甘〜い串団子で、南谷はビールを飲んだのか!
天来はお酒といっしょに、おまんじゅうだか大福だかを食べたと聞いたことがありますが、さすが親子。
展覧会のスナップを探したら出てきました。
右から比田井小葩、南谷、桑原素雪先生、金子鷗亭先生。
一番左は、若い頃の淺沼一道先生のようです(注²)。
展示されている作品は条幅で、しかも臨書なので、書宗院展だと思われます。
なごやかな雰囲気が伝わってきます。
注¹ 福槌は(現有職)は、筒井茂徳先生が教えて下さいました。
注² 写真左端は若き日の淺沼一道先生ではないかというご指摘も、筒井茂徳先生です。
筒井茂徳先生のブログ「古碑帖の正確な見方―臨書がうまくなるために」はこちら。