5月25日は、比田井小葩の命日です。

享年58歳でした。

今回は「隊長、私(詩)的に書を語る」第二弾。

薔薇の詩を書いた小葩の作品(1964年頃)がテーマです。

 

 

 

これは八木重吉の詩集、「秋の瞳」にある、よるの薔薇(そうび)という詩です。

 

八木重吉は無教会主義のクリスチャンでしたが、母(小葩)の父母は共に

無教会主義を唱えた内村鑑三の直弟子で、内村鑑三全集の中に、外国航路の船長の

山桝儀市君という文が出てくるほど熱心なクリスチャンであり、母の名前の康子というのは内村鑑三によって命名されたものです。

年代的にもしかしたら、山枡家の二人と八木重吉は今井館で面識があったかもしれませんね。同じ無教会主義のクリスチャンなので、母は安心して詩の言葉を取り上げられたのでしょう。

 

まるで、薔薇が闇から立ち上がったように少し上のほうに書かれて、夜露を少し含んだような古墨のうねりが、にじまない紙を使用することで、とても印象的であたたかい書になっています。

私には、深紅の薔薇に思えます。

というのも、母は庭にバラのアーチを作ると言い出し、わざわざ横浜市緑区の菅田というバラ園まで車で買いにいったのです。広い斜面いっぱいに植えられた中から大輪の真っ赤なつるバラを選び、それと別に鉢用に藤色のバラを買いました。

本当は藤色のバラの方が好きなんだと言っていましたが、着物やいろいろ藤色のものが多かった気がします。

 

深紅で大輪のバラのアーチは、毎年本当に沢山の花をつけてくれました。

 

私は以前、緑区の鴨居という所に住んでいたことがありますが、ふと丘を越えてみたらなんとそのバラ園があったのです。子供のころは、すごくいなかの方にバラを買いに行ったと思っていましたが、こんな近くだったのねと気が抜けた覚えがあります。

 

 

 

母が丹精こめたバラのアーチ。

それはそれは見事な花を咲かせていました。

この写真は、隊長が小学生の頃。

こんなふうに、二人で薔薇の苗を買いに行ったのでしょう。

なんだか誇らしげな隊長です。

(本文の改行は隊長のこだわりです)