いつも美味しいお料理を作ってくれる「隊長」の本名は比田井義信。

2年と4ヶ月違いの弟です。

その隊長が、書をめぐるエッセイを書いてくれることになりました。

カテゴリのタイトルは「隊長、私(詩)的に書を語る」。

小葩の作品を読み解くのは、幼いまなざしが捉えた母の姿。

 

 

 

 

猫は よじのぼった ジャム入れの
てっぺんへ まず右の 前足から
要心ぶかく さて後足 で降りて
からっぽの 植木鉢 の穴へ入った

 

イギリスの詩人ウィリアム.カーロス.ウィリアムズのものです

 

活字で印刷されることが前提の外国の詩を鑑賞すると

 

家の中で飼っている猫の自由ないつもの部屋のパトロールの最後に今日はジャム入れの障害物があるので、気を付けて通らなきゃとでもいうように、でも自分の家だからその先にお決まりの穴があるのを知っていておさまったのでしょうかなんて想像してしまいます アメリカンショートヘアとかかな?

 

でも比田井小葩の書を見ると、おとといくらいに拾ってきた、まだ子供の三毛猫で

昨日くらいからやっと箱から出てきて部屋を冒険しはじめたばかりのように思えてならないのです

 

まず最初の敵のジャム入れのところで墨を足して、その次に大事な右足のところでも墨を足して、最大の難所を多めの墨で乗り切ってどきどきをひきずったように、

はらはらしながら見つめているような気になってしまいます

 

小琴に師事していた時からのかなの細い筆を使わずに、金子先生の下で立ち上げた漢字かな交じり書を発表するにあたり初代理事の一人としては、下品になったり、まんがのようになったり、感情を浅はかにおおげさに表すようなことをしてはならないとの思いもあり、独りよがりにならないようにまず自分の心に思いをまとめて構成しなおしてから、冷静に作品を制作する南谷の姿勢に共感していた小葩ならではの絶妙な表現なのではないでしょうか

 

色々な作品をよく見ると太い筆を使用しているのにかなの手法が随所に使われているのがわかります

 

 

僕が三歳くらいの頃、家の前によくいたまだ小さいノラ猫にえさをあげたくて、ニャンニャンにごはんあげると母(小葩)に言うと残りご飯におかかをまぶしたのをあげてくれました

 

母はひっかかれるといけないとでも思ったのか僕をおぶって、さあお食べと優しくエサをあげてくれたので、猫がご飯を食べるのをいつも一緒に背中からみていました

 

そのうちにおぶってくれるのは住み込みの女中さんになりましたが、あの夕方の少し赤くなった道路の風景がこの書を見るたびに思い出されて、子猫にも優しい気持ちで書の構成を考えたのかななんて思うと少し胸が温かくなるのです

 

 

 

 

 

なんてやさしい風景なんでしょう。

ちなみに句読点や改行は隊長のこだわりです。

上の写真は今から65年ぐらい前。

私のお誕生日のようです。

左から隊長、比田井南谷、小葩、私、母方の祖母である山枡まり子です。

そういえば、隊長が初めてケーキを焼いたのは小学生のとき、この数年後のことでした。

 

隊長が書いたブログ(京都の美味しいもの)

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