新しいシリーズが始まりました。
その名も「天来書院選書」。
かつての大家に愛されながら、今ではあまり顧みられることのない古典を、ごく少部数で発行するものです。
内容を紹介するブログはこちら。
第一回配本は「多胡碑(たごひ)・多賀城碑(たがじょうひ)」と「張旭(ちょうきょく)・懐素(かいそ)」の二冊です。
今回はこの中で、張旭について書きたいと思います。
張旭は、今でこそあまり知られていませんが、生きているときから高名な書家でした。
唐時代の詩人、杜甫(とほ)の「飲中八仙歌(いんちゅうはっせんか)」は、「李白一斗詩百篇(李白が一斗の酒を飲むと詩が百篇生まれる)」の部分が有名ですが、この後に張旭が登場します。
張旭三杯草聖伝。脱帽露頂王公前。揮毫落紙如雲煙。
張旭が酒を三杯飲むと、草書の聖人といううわさだ。
彼は王公の前でも平気でかぶりものを脱ぎ、頭をさらす。
筆をとって紙に落とすと、雲煙のような草書がわきおこるのだ。
張旭の奇抜な逸話は、中国の正史にも書かれています。
張旭は酒を好み、大酔すると叫んで走り回り、ときには髪に墨をつけて書いた。
醒めてから書いたものを見て、神業〈かみわざ〉ではないか、二度と書けぬと言った。
人は張顚(ちょうてん・きちがい張さん)と呼んだ。(「新唐書巻202」)
この逸話のイメージ通り、張旭の草書はスピード感にあふれ、ダイナミックです。
狂ったように筆が走っていることから「狂草(きょうそう)」と呼ばれています。
この「狂草」はそれまでの草書とは異なった特徴を持っています。
隷書や楷書は点画をきちんと書き、直線が主体です。
隷書を速書きするために形をくずし、あるいは点画を省略して、曲線主体となった書体が「草書」です。
もっとも古い草書は、前漢晩期の木簡に見ることができます。
そして王莽(おうもう)の新(8〜23年)以降に、次第に草書が完成していったと考えられています。
上図は建武3年(西暦27)の紀年のある木簡です。
一字ずつ独立した草書で、歯切れのよい、伸びやかな美しさをもっています。
(出典「拡大本・木簡草書編」)
その後も草書は美しく展開し、王羲之「十七帖」や、孫過庭「書譜」などの名品が生まれました。
「書譜(しょふ)」(687年)は肉筆なので、筆使いがよくわかります。
洗練された高度な技法によって、線のリズムや強弱の変化が生まれ、歴代草書の頂点に立つ名品の一つに数えられています。
冒頭部分を上に掲げました。
文字は草書ですが、ほとんどの部分で連綿(上下の文字が連続する)が見られず、また文字と文字の間隔が離れています。
そして唐時代半ば、「狂草」が登場します。
「古詩四帖(こししじょう)」は北周の詩人・庾信(ゆしん・513〜581)の詩が二篇、南朝宋の詩人・謝霊運(しゃれいうん・385〜433)の詩が二篇書かれています。
文字が大きいため行間も文字間も狭く、紙面いっぱいにすきまなく文字が並んでいます。
連綿も多く、自由奔放に書かれた様は、まさに「狂草」と呼ぶにふさわしい書です。
「古詩四帖」は早くから有名で、宋の徽宗(きそう)が所蔵していたときは、南朝宋の謝霊運の書とされていました。
明時代には華夏(かか)の所蔵となり、その後、有名な収蔵家、項元汴(こうげんべん)のものとなりましたが、これを鑑定した董其昌(とうきしょう)は張旭の書であるとしました。
清時代になって乾隆皇帝の内府に入り、現在は、遼寧省博物館の蔵となっています。
文章の内容や料紙の種類により、書かれた年代が11世紀から12世紀だとする研究者もいて、張旭の書であることを断定はできませんが、傑作であることは多くの人の一致するところです。
上は比田井天来の臨書です。(「天来習作帖」)
天来は解説で、
「この草書は、後世の真面目の書のできない人の書いた狂草のように、決して乱暴のものではない。
張旭は用筆法において、よく古法を伝えていた人で、顔真卿の上手になったのは、全くこの人のおかげである。」
と言っています。
張旭はまた、美しい楷書を書きました。(天来書院選書には収録されていません)
741年に書かれた「郎官石記(ろうかんせきき)」です。
北宋の黄庭堅(こうていけん)が「唐人の正書、能くその右に出ずる者なし」とまで激賞した書です。
比田井南谷著「中国書道史事典」には、次のように書かれています。
虞世南や褚遂良の楷書の妙味をとり入れ、また同時に、古拙ともいうべき魅力があり、魏の鍾繇を思わせる文字もある。
この一見平凡に見える点画の間から流れ出る微妙な美しさは、書の芸術性を深く研究したものでなければ理解できないというようなところがある。
比田井南谷の臨書です。
「郎官石記」の魅力を引き出した、南谷独特の世界が生まれています。
さて、「天来書院選書」の「張旭・懐素」には、ほかに懐素の「草書千字文(千金帖)」「蔵真帖(ぞうしんじょう)」「律公帖(りっこうじょう)」が収録されています。
懐素といえば、狂草の代表的な作品「自叙帖」が有名ですが、「草書千字文(千金帖)」もファンの多い作品で、名家の臨書が残されています。
天来は「千金帖を学ぶ位なれば、智永の千字文を学ぶ方が遥かにましである」(「天来習作帖」)とけなしていますが、南谷は別の見方をしました。
この作品は、落ち着いた用筆法で書かれしぶい味である点で、「自叙帖」とは正反対の傾向の作品である。
表現が内面的であるために、初心者にはあまりおもしろくないかもしれないが、筆には枯淡な味があり、線の表現する内容はむしろ「自叙帖」よりも深いものがある。
現存する最晩年の作品であり、これが晩年において到り得た境地を示すものであろう。(「中国書道史事典」)
南谷が書学院出版部を再開したとき、最初の刊行物は「天来習作帖」でした。
それにもかかわらず、そして父、天来は師でもありましたが、盲信せず、堂々と異論を述べています。
天来のもとに集まった若者たちは、誰もがそのような自由さを共有していたのでしょう。
当時の熱意がよみがえってくるようです。
最後に、同じく懐素の「蔵真帖」と「律公帖」をご紹介します。
「蔵真帖」は、前半の直線的でおとなしい趣と、後半の大胆で流れるような線がおもしろい対称をなしています。
比田井天来の臨書(天来習作帖)です。
「筆々筋骨のある点が長所である」と天来は書いています。
唐時代半ばに現れた「狂草」は、初唐の整った静的な書に対抗するかのように、ダイナミックで奔放な世界を拓きました。
そしてその後の書に、大きな影響を与えていくのです。
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「中国書道史事典」 比田井南谷著 4189円 天来書院で買う アマゾンで買う