ある日、お客様からお問い合わせがありました。

名筆五体般若心経」の中に、中ほどを過ぎたあたりの「遠離一切顚倒夢想」(一切の顚倒せる夢想を遠離し)が「遠離顚倒夢想」(顚倒せる夢想を遠離し)になっているものがあるのはなぜですか?

 

で、思い出しました。

かつて比田井南谷が空海の字を集めて般若心経を作っていたとき、「遠離一切顚倒夢想」の「一切」を入れるべきかどうか迷っていたことを。

 

通常、読経や写経に用いられる般若心経には、この「一切」が入っています。

しかし、書の名品として伝えられる般若心経の中に、「一切」が入っていないものもあります。

どういうことなのでしょう。

 

調べてみました。

 

般若心経を最初に翻訳したのは鳩摩羅什(くまらじゅう)で、402年頃とされています。

玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)は629年にインドに旅立ち、たいへんな困難を乗り越えて645年に帰国しました。

おびただしい数のサンスクリット語経典を持ち帰りましたが、その漢訳事業を称えて建てられたのが「集王聖教序(しゅうおうしょうぎょうじょ)」碑(672年)です。

 

唐の太宗が敬愛していた王羲之の筆跡を集めて作られています。

行書を学ぶためになくてはならない古典です。

 

末尾に般若心経が刻されていますが、「一切」は入っていません。

 

日本ではどうでしょう。

日本で書かれた般若心経の中で、もっとも古く、そして有名なのは「隅寺心経(すみでらしんぎょう)」であると言われています。

空海筆と伝えられていますが、実際には奈良時代に書かれたと推定されています。

「遠離」と「顚倒」の間に「一切」が入っています。

 

なぜ?

 

書作品としての般若心経は、楷書だけでなく行書、草書、篆書、破体書など、さまざまの書体で書かれ、見ごたえのあるものも珍しくありません。

そこで今回は、この「一切」の有無にも注意しながら、いろいろな般若心経の名品を見ていくことにしましょう。

 

欧陽詢般若心経

まずは中国唐時代の人、欧陽詢が書いたと伝えられている「楷書・般若心経」です。

「化度寺碑(けどじひ)」を思わせる端正で美しい楷書です。

実は玄奘が般若心経を翻訳したとき、欧陽詢はすでに他界していたので、筆者は欧陽詢ではありませんが、いろいろな法帖に刻された有名な作品です。

(上に掲げたのは単帖から採ったもの)

全文260字がバランスよくおさめられています。

「遠離」と「顚倒」の間に「一切」はありません。

 

劉石庵般若心経

劉墉(りゅうよう・1719〜1804)は清代中期の人。

彼は常に濃墨を使って渾厚な書を書き、「綿の中に鉄を含むようだ(楊守敬)」と評されました。

比田井天来も近代中国ではもっとも高く評価しています。

行書と草書が混ざった、濃厚な趣をもつ般若心経です。

やはり「一切」は書かれていません。

 

続いて篆書です。

鄧石如(とうせきじょ・1743〜1805)は清代に秦漢およびそれ以前の文字を徹底的に研究し、三国以降すっかり衰えてしまった篆隷をよみがえらせました。

彼はことさらに奇をてらうことなく、篆隷に限らずオーソドックスな書を書きました。

この「般若心経」は61歳、亡くなる前々年の書で、伸びやかな線による堂々とした篆書です。

ここにも「一切」はありません。

 

呉昌碩(ごしょうせき・1844〜1927)は石鼓文(せっこぶん)の研究によって、新しい篆書のスタイルを作り上げました。

篆刻に優れ、傑作を数多く残しています。

 

伏見冲敬先生の解説を引用します。

 

末に呉昌碩の識語(しご)があり、かつて鄧完白(とうかんぱく・完白は鄧石如の号)の篆書心経八幀を見て服膺(ふくよう)之(これ)を久しうしたと書いてあり、かれが鄧完白の作品を頭において書いたにちがいない。

(中略)

鄧氏のは立派な小篆なので、呉昌碩は同じことはやりたくないので、自分の得意な石鼓文の風をとりいれて書いた。

「自ら視て尚ほ悪態なし」といっているが、まことにこれは呉氏の生涯でも傑作の一つである。

文句なしに篆書の基礎手本として精習すべきものである。

 

ここにも「一切」は書かれていません。

 

以上、中国の作品には「一切」は書かれていませんでしたが、日本の書はどうでしょうか。

 

一つの作品が数種類の書体で書かれていることを「破体(はたい)」とか「雑体(ざったい)」と呼びますが、上は楷書、行書、草書、隷書、さらに梵字や章草が混ざった「破体般若心経」です。

京都の広隆寺に伝わるもので、最後に「空海」の落款があります。

多くの書体を書きこなし、それぞれの味わいを活かしつつみごとに調和させています。

 

川谷尚亭の臨書が残されています。

 

原本通り「一切」が入っています。

 

江戸時代の貫名菘翁(ぬきなすうおう・1778〜1863)の大字楷書「般若心経」です。

菅公(菅原道真)九百五十年祭のために謹書した八曲屏風で、太宰府天満宮に奉献されました。

日下部鳴鶴が跋語で「書法は雅錬高古、変化自在。規矩を自然に運らし、雄奇を静穆に寓す」と述べています。

「一切」が入っています。

 

こちらは、同じく菘翁の「集王聖教序」の臨書です。

原本通り「一切」は入っていません。

 

良寛(りょうかん・1758〜1831)が書いた般若心経にも「一切」があります。

 

池大雅(いけのたいが・1723〜1776)が書いた般若心経には、なぜか「遠離顚倒一切」になっています。

「一切」を入れる場所を間違えたようです。

 

最後に、成田山新勝寺境内にある中林梧竹(なかばやしごちく・1827〜1913)の石碑拓本をご紹介しましょう。

集王聖教序を臨書したものだと言われていますが、「一切」が入っています。

もしかしたら、実際に手本を見ることなく、記憶によって臨書した「背臨」かもしれません。

だとしたら、すごいことです!

 

以上、中国と日本の般若心経を比べてみました。

中国では「一切」がなく、日本では「一切」が入っています。

 

このへんの事情を研究した書籍はほとんどないようです。

1993年に弓立社から発行された「般若心経の道」で、著者の飯島太千雄先生はこのことを嘆きつつ、独自の説を展開しました。

般若心経は日本に伝わると、文中に「一切」が加えられ、冒頭に「摩訶般若波羅蜜多心経」などの経題、そして末尾に効能文(般若心経を唱えることによって得られる効能を書いたもの)がつけられるようになった、というもので、71種の般若心経について、「一切」の有無や経題、効能文の内容などの比較が掲載されています。

 

誰でも知っている般若心経ですが、実は知られていないことも多いのだと実感しました。

 

最後に、天来書院刊行の写経用紙をご紹介します。

比田井天来編「集王羲之書般若心経」は、集王聖教序をもとにして、さらに習いやすいよう、双鉤塡墨として残る王羲之の筆跡などを加えて編集したものです。

 

比田井南谷編「集空海書般若心経」は、空海真筆とされる書から文字を選んで編集されています。

両者とも、伝統的な写経の書式にのっとり、さらに「一切」も入れて編集されていますから、書の専門家にふさわしい写経ができると評判です。

 

写経体の名品「隅寺心経写経用紙」です。

習いやすいように文字部分を強調しました。

効能文は入っていません。

 

わずか260字(あるいは262字)の中に、大般若経の教えが凝縮されていると言われる名編「般若心経」。

歴代名人の書を研究して、独自の般若心経を書いてみませんか。

 

 

 

名筆五体般若心経 A4判113ページ 3080円(税込)

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集王羲之書般若心経 写経用紙(比田井天来編) A4判 1320円

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