富士山は3年ぶりでした

前回同様、頂上までではなく今回も7合目までの行程です(8月28日)。※富士山、登山口に監視員が体調等をチェック。コロナ対策は万全でした。
毎年一度は富士山に登ろうと休みの日に天候と風をみてきましたが、ここ2年は特に風が強い日が多く、中々タイミングが合いませんでした。

午前中、ジョギングに出かけた際、久し振りに風もなかったのでこれはチャンスと思いジョギングを中断。登山に切り替えました。
常時、潜りグッズが積み込んである車の荷物を登山用に変更し御殿場に向け出発。

夕方、御殿場口の駐車場に入る。下界は34℃あったのに、いきなり20℃と涼し過ぎ。早々に短パン、Tシャツからジャージとトレーナーに着替えました。
車中泊の用意をして晩ご飯を食べて仮眠。途中、ざわざわする声に起され、見てみると車のすぐ後ろで星座を観察している親子。何でわざわざここに座るの??
後ろに少しスペースを作っていたのが失敗だった(その後ろには50mくらい平坦なスペースがあったのに暗くて見えなかったらしい)。ウトウトしていると、11時前に入ってきた車に何と前のバンパーをぶつけられその衝撃で起される!しかも、そのまま当て逃げされそうになり裸足で追いかけて捕まえた。その後は警察や保険会社を呼ぶ羽目になり、お陰で2時間近くをロス。おまけに足の指には走った際に砕けた小石が刺さり流血。

「ひとの愛車にぶつけて逃げようとするなんて!」と頭はカッカしているのに、首から下は寒さで冷えフリースを着込み、毛布を掛けるも十分に仮眠出来ず。
結局、夜中にアタックする予定を断念し陽が昇ってからに変更。こんな時にとんだ災難だった。

夜が明けたのに曇りで陽も差さず想定外の寒さ。まだ夏なのに気温14℃とはあり得ない。暫く車から出る気になれず。
7時前に登り始めると、雲が流れるというよりも下から上へ雲が昇ってくる。北斎の「登龍の不二」の絵は正にこんな景色を下界から見たのがヒントになったのかも知れない。兎に角、視界が悪く頂上は勿論、宝永山も見えない。酷い時には視界10mくらいだった。
その中を黙々と登ること6時間。ようやく7合目に到着(3,040m)。7合目までは約8km、高低差は1,600m。平均勾配は約20%あるそうです。ちなみに、これは歩道橋と自転車用の斜路との中間位いとのこと。ただ、実際には平坦に近い所もあるので体感的な斜度はそれ以上ありました。

途中、霧が小雨のようになり6合目を最後にカメラは出せなくなる。写真は新6合目の休憩所です。その下の写真で斜度が分かりますか?

双子山の周辺には巨大なアザミが辺り一面に咲いていた。周りには自分一人しかいなかったこともあり、その景色がとてもこの世のものとは思えずに不思議な感覚(少し怖い)を味わった。晴れていれば、宝永山で一休みする予定も小雨が降り出したので持参した缶コーヒーを飲んで早々に下山。

前回は天気が良く宝永山で一休みした際に自分(当時は定年まで残り2年半だった)や家族(子供が就活中だった)の将来のことを考えていたことを思い出した。
下界を見下ろすと悩みや心配事などとても小さいなことに思えたし、登山は精神衛生的にも良いと当時は思った。残念ながら今回はその感動を得ることが出来なかった。
やはり、それには晴れた日に壮大な景色を眺めながら頭を一旦リセットした時間「禅でいう無の境地?」が必要なのだと思います。

帰りは大砂走りのコースに移動。健脚の登山者はそこをかなりのスピードで砂埃りを舞上げて駆け下りる。
ここ数年、膝が芳しくなくリハビリ中につき、羨ましそうに彼らの激走を眺めていた。その内、脚が疼いて気がつくと自分も駆け下りていた(笑-笑)。
ただ、走っていて先が見えない個所があり、調子に乗ってスピードを出すとつんのめってダイブしてしまうので要注意。

登るのに6時間も要したのに下りは僅か1時間弱。何だか勿体無い気になってしまう。

帰りは小田原に寄りいつも立ち寄るスーパーで買い物。地物の魚がお目当てです。
夕食は鯛めしと鰹のたたき。鰹も生の切り身を買い、周りに塩を振りバーナーで炙ると独特の臭みも取れて美味になります。

お酒は比田井天来ともご縁がある長野県佐久市にある伴野酒造の吟醸酒「澤の花」。美味です!身体に染み入りました。
常に勾配を上り下りしていたので、我が家の平坦な床に戻りホッとしたのと輪島塗りの朱のお盆と器、ぐい呑との組み合わせに癒されました。

何気に輪島塗りは人に(程度こそ違えども)癒しを与えられるかも知れない。そのことを今後、自分の輪島塗りのビジネスの切り口に出来ないか?と考えるに至りました。

富士山、年内に再度トライしようと思います!