「そろそろやるかなぁ・・・」
と腰を上げ、おもむろにアトリエに籠もり、
誰に手伝ってもらうでもなくひたすらに制作に打ち込む。
やがて出てきて「こんなもんかなぁ・・・」
これが石原太流先生の長年の制作のスタイルでした。
大作が印象的な先生の作品ですが、制作はいつもご自宅の部屋。
会議室や体育館を借りているわけではありません。
部屋にはお気に入りの道具類と本が山ほど。
それらが手に届くところにいつもあります。
浮かんだイメージを逃さないように、すぐに紙に落とし込む。
それにはこの部屋でなくてはならないのです。
1枚書いて、乾くまで数時間。
また1枚書いて、乾くまで数時間。
この繰り返しによって先生の命の軌跡が形になります。
昨年10月21日、石原太流先生がお亡くなりになりました。
お別れの会を開くことも難しい中、先生との思い出を共有する場としてこの場を玄潮会の皆様が設けて下さいました。
これまで個展をあまり開くことのなかった石原先生の2002年から昨年までの作品がズラリと並ぶ貴重な展覧会でした。
師である徳野大空先生のチャレンジ精神を受け継いだ石原先生の作品は、変化に富んでいます。
大きくのびのびとどこまでも広がるような規模に引きつけられます。そして激しさよりもどこか清潔さを感じ、色あいの繊細さにも気づきます。
中にはこんな静かな作品もあります。石原先生のこういった作品は拝見したことがなく、はっとさせられました。
こちらは2017年の佐久全国臨書展にご出品下さった裴将軍詩の臨書作品です。当時、展示されているのを直接拝見したことがあります。
裴将軍詩は楷・行・草さまざまな書体が入り混じった破体と言われる作品ですが、
石原先生はこれをテーマに取り組み続け、亡くなる1ヶ月半前に仕上げた作品があります。
これは今回の展示ではありませんが、神奈川書家三十人展に出品された作品です。
この力強さ。書体が入り混じった大作で、先生は雑体書と表現されました。
病の進行する体を押して1枚1枚、珍しく奥様に支えられながら書き上げたものです。
明け方頃、アトリエの外にいらした奥様の耳にふと叫びともため息ともつかない声が聞こえたと思うと、
アトリエから出て来られた先生は
「できた」
と小さくおっしゃったそうです。
作品を仕上げた直後の先生のご様子を長年見つめ続けていらした奥様が、初めて聞く言葉でした。
この作品が、展覧会の作品としては生前最後となりました。
常に模索の中にあり、作風を確立するよりも新しい何かを追い求め続ける姿勢は一貫したものだったようです。
以下図録巻末資料より。
やがて雑体書にたどり着いた石原先生は、それをさらに推し進めるつもりだったそうなのですが、それは叶いませんでした。
ベッドの上で書いた絶筆に、いまだ意志が感じられる気がします。
書作への情熱が最後まで命を支え続けたアーティスト、石原太流先生。
美しく撫で付けた白髪と、人を跳ねのけないおだやかな物腰が印象的で、私のような若輩者の質問にも丁寧に答えて下さいました。
執筆をお願いしたときには体調も万全ではなく、そんな中でもこだわり抜いた著作を書き上げて下さいました。
徹底して公平無私で、会議となると必要なことをいつもクリアに捉えて冷静にお話され、議論の要でいらっしゃいました。
石原先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。