1953(昭和28)年、室蘭からやってきた少年が上野に降り立ちました。
西郷隆盛像の前に佇んだその少年の目は、像よりも、その肩越しに見える建造物に向けられていました。
日本美術協会展示室。後の「上野の森美術館」。
いつかこの美術館で展覧会をやると、その少年は心に誓いました。
孤高の書家、加藤光峰氏の若き日の姿です。
入学した東京学芸大学では古典臨書三昧の日々を過ごし、
その中で甲骨や青銅器に封じ込められた古代人の声に耳を傾けるようになり、
これを芸術に昇華させることがいつしかライフワークになっていきました。
紀元前約1700年にもさかのぼることができる出土品の数々に刻まれた古代人の営みが、
加藤光峰氏の手によって魂を吹き込まれ躍動を始めます。
少年の日の決意は果たされました。
上野の森美術館にて毎年のように自作を世に問い続け、
書壇とは距離を取りながらも数々のメディアで採り上げられ、
芸術として一つの境地に達した作品は海外でも高い評価を得ました。
2019(令和1)年没。享年85歳。
ご縁を頂き、天来書院にて遺墨集を刊行させて頂いたのが昨年(2020年)3月。
本来であれば遺墨展も同じタイミングで開催予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響が拡大し始めていた影響で延期されていました。
1年の準備期間を経て、ご存命であれば奇しくも数えで米寿となるこの年に
その集大成ともいえる『加藤光峰遺墨展』が開催となりました。
会場に入ると、まずは臨書作品がお出迎え。
原本の持つ雰囲気、品格はそのままにより温かく叙情的に迫ってきます。
臨書で鍛えた腕の確かさが印象付けられます。
それをくぐり抜けると、見渡す限りの大作が展開。
圧巻です。
椅子に座ってぼんやり眺めたり、思い思いに写真を撮ったり。
額をこすりつけんばかりに近づいて下から見上げると、微妙な墨の濃淡や紙の毛羽立ちまで感じられ、写真や図録とは違った没入感があります。
プリミティブでありながら造形的に洗練され、決して野放図でない繊細な筆の動きを間近に堪能できます。
加藤光峰氏の作品でもうひとつ特徴的な英文表記。
古代文字との相性が抜群であるとの確信のもと書き込まれています。
筆による英文作品としても最高峰ではないでしょうか。
2Fには龜甲会会員の方々の試みが展示されています。
遺墨集p.145より
「ただ、書と違って、音楽は消えていくからいいよね。(中略)恋文が、読んだら一行ずつ消えていったら、ロマンティックでしょう。真っ白なただの紙になっちゃって、読み返せない。最高ですよ。ところが、私の仕事の場合、一筆前の線がはっきり残っていますからね。切ない気もするな。」
加藤光峰氏は、最新作を常に一番良いものとしていたと伺いました。
圧倒的存在感を発揮し、一つの芸術を打ち立てながら、その残してきた足跡よりも「いま書いている」ことを最も大切に考えていたのでしょう。
「残ることが切ない」という言葉と、遺された作品。人間「加藤光峰」に思いを馳せる時間となりました。
リンク
・『墨線 加藤光峰遺墨集』(商品ページ)
・遺墨展初日の開場前に、無観客で『追悼の書演』が行われました。そのときの模様が動画で見られます。
https://kohokato.com/video.html