前回、大同書会創立発起人の集合写真を掲載したが、その幾人かについて、これから紹介していきたいと考えている。


菊池惺堂(きくちせいどう)慶応3年(1867)生まれ。昭和10年(1935)没。大橋陶庵(旧姓・河田)、誠の子として生まれる。名は晋二。長じて菊池長四郎の養子となる。長四郎は東海銀行の出資創立者の一人で、後に頭取となった。日本橋区議会議長を務め、後に貴族院議員も務めた。長四郎没後、惺堂は佐野屋という呉服商の後を継ぎ、日本橋区の議員となり長四郎と同様に区議会議長となった。東海銀行、凸版印刷、日本共立火災等の取締役を務め、経済界でも重要な役割を果たしている。南画もよくし、書画の蒐集家としても知られている。


蘇軾書「黄州寒食詩巻」(巻子本)ー台北・故宮博物院蔵ー
・巻子本の下部に火災による欠損部が見られる。

中国北宋の蘇軾の『黄州寒食詩巻』が清の乾隆年間、庚申の変で内府から民間に流出する事件があった。それが日本に渡り、惺堂が買い受けたのであった。大正11年のことである。翌12年、関東大震災が起きた。菊池家も焼けたのであったが、惺堂は決死の覚悟で焼ける家の中に入り、やけどを負いながら、この名品『黄州寒食詩巻』を運び出したのであった。
この時、巻子の下部が焼けてしまったのである。巻子は現在、台北の故宮博物院に蔵されている。当地の人たちの間では、名品を守ってくれた人ということで、惺堂はかなり評価されているようだ。


菊池惺堂による写本「蘇齋筆記・書編」・「蘇齋筆記・楷編」(鉄筆)


 

左・菊池惺堂から比田井天来に贈られた「蘇齋筆記」の表紙裏に書かれた署名

右・写本「蘇齋筆記」の扉題字
*「蘇齋筆記」は中国清朝の碩学・翁方綱(おうほうこう)(1733~1818)が
著した書論で全十六巻より成る。