2009年4月 1日

第23回 東海道品川宿を歩く4 豊道春海揮毫の鐘、日高秩父の書碑

023-top.jpg 豊道春海揮毫の鐘、日高秩父の書碑
 青物横丁駅そばの旧東海道沿いに東海七福神のうち毘沙門天を祀る品川寺(南品川3‐5‐17)がある。読み方は、シナガワではなくホンセン。

門前に高さ4.5メートルもある銅製の地蔵がある。江戸、六地蔵の一つだそうだ(写真1)。

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(写真1)


023-002-1.jpg そばに、明治29年建立の「溺死者供養塔」や句碑、庚申塔などがある。亀趺に乗った宝筺印塔を右に見て門を入ると銀杏の大木がある。周囲5.4メートル高さ25メートル、樹齢約600年という立派な樹である。右奥にある本堂の左右には、小さな鐘が釣り下げられている。左は「学徒出陣慰霊の鐘」で、「永〓(火+軍)萬世 大安至誠」と題があり銘文が鋳込まれている(写真2)。
(写真2-1)

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(写真2-2)

023-003.jpg 昭和35年の鋳造で、元東京都知事香坂正康が撰文し、豊道慶中(春海)が揮毫している。右側の鐘は、「戦争裁判殉国者慰霊の鐘」。「傳法昭和甲辰秋仲文麿」(写真3)とある。昭和甲辰は、昭和15年のことであるから、近衛文麿の生前の書を鋳込んだものであろう。庫裡の前に、「露深く...」の句碑があり、鐘楼の登り口には高浜虚子の句碑があった。
(写真3)

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(写真4)

 門を出て、少し西に行くと、海雲寺(南品川3‐5‐17)(写真4)がある。千躰荒神を祀った有名な寺で、門を入った左の寺務所裏に、「大日本帝国議會原始紀(念碑)」(写真5)がある。

023-005-1.jpg 下部は土中に埋まっていて定かではないが高さ4メートルを超す巨碑である。元々は、山門前にあり1メートルほどの台座があったというから偉容を誇ったであろう。碑陰に「神武天皇即位紀元二千五百五十年 明治二十三年十一月二十八日開會 明治二十九年十二月 従七位日高秩父書 岸田清幸刻 茨城県筑波郡眞瀬村大字多良田 発起人山田喜平」とある。
(写真5-1)

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(写真5-2)

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(写真5-3)

023-006-1.jpg 隣は「大日本帝国議會原始記念碑及特別賛成員連名碑」(写真6)。「明治二十三年首夏七十翁原担山」などの名が見える。
(写真6-1)

023-006-2.jpg 大日本帝国議会の開会を祝した記念碑と、この建立に尽力した人を記した碑である。連名碑の題額と碑陰の書もおそらく日高秩父かその周辺の書家の手になるものであろう。日高秩父は、明治から大正にかけて使われた『書き方手本』で名を馳せた人である。特別賛成員の名の下には、原坦山などが揮毫した、山田喜平を称える銘文が刻されている。「明治二十三年十一月 七十二翁原担山」とあり、曹洞宗大学林総監などを務めた高僧で東大で初めてインド哲学を講義した原担山(1819〜1890)と年齢が合致する。担山は、駒沢大学の創設に関わり、大学構内にはこの人の顕彰碑が建つといわれるが、未見である。建碑発起人の山田喜平についてはよく分からない。
(写真6-2)

023-007.jpg近くに、橘右近の筆塚や、竪川流の碑などが並ぶ。また、本堂前には、永代護摩料などと刻した碑や、寄席文字家元橘右近が揮毫した「力石」(写真7)などがある。
(写真7)

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