古碑帖の正確な見方

筒井茂徳(書法家)

第六回上「行書の名品 風信帖を習う」その1

2021.01.18

行書の二つ目の練習課題として、今回は平安時代初期の空海の「風信帖」を扱います。空海が最澄に送った手紙は三通が現存しており、下の図版はその第一通で、「風信雲書」で始まるところから風信帖と呼ばれています。宛名の「東嶺の金蘭」は最澄のことです。その書は完全に中国風のもので、とりわけ王羲之書法を空海がいかにみごとに体得したかを物語る名品であり、前回の蘭亭序に続いて取り上げるゆえんです。

これまでと同様に、まずさまざまな基本点画が習える画数の少ない六字を扱います。行書らしい横画、縦画、左右の払い、逆筆、転折、筆画の連続などが出てきます。基本点画の用筆に慣れ、あわせて結構の勉強もしようという狙いです。

すぐ下に半紙六字書きの手本を載せます。風信帖全文の中から選んだ六字を拡大し、半紙の比率に配列したものです。この手本はダウンロードできるようにもなっていますから、自分のデヴァイスにダウンロードしておけば、ネット環境の無いところへ持ち出すこともできます。スマフォにダウンロードし、コンビニでプリントアウトする方法は、比田井和子さんのブログ「酔中夢書」2020年12月16日号〈お手本PDFファイルのダウンロード PCとiPhone〉にかなり丁寧に紹介されています。

∇お手本ダウンロード∇

行書は比較的に筆順が分かりやすい書体です。この六字では、「之」「天」「仏」「法」の四字は楷書と同じこともあって、問題は無いでしょう。「上」と「此」とは迷うかも知れません。

ところで横画は左から右に引き、縦画は上から下に下ろします。このことから、一般に筆順は文字の左上方から始まり、右下方で終わります(下図)。これが筆順の大原則です(例外は「寸」「成」などの点で終わる文字)。
このことを知っておくと、筆順に迷った時に役に立つことがあります。たとえば「九」字の筆順です。「九」の二画はどちらの画も左上部から起筆します。では、収筆部が右下方に在る画はどちらかと見ると、むろん左払いではなく乙脚(いつきゃく)です。つまり左払いが第一画、乙脚が第二画であることが分ります。

「上」には実は古くから筆順が二通りあり、短横画、縦画、長横画の順と、縦画、短横画、長横画の順とです。では風信帖の「上」はそのどちらで書かれているでしょうか。こうした場合、二つの方向から考えます。一つはその字の筆意はどうであるかを実際の表現自体から観察する、もう一つは同じ作品においてその字はどう書かれているか。

上の図版では、縦画も短横画も起筆部はほぼ左上方に在ります。縦画に注目すると、起筆部は逆筆気味に始まっており、収筆部は左下方に向かって連続して最終画の横画を逆筆で起筆しているように見えます。とすると、第一画は短横画ということになり、その収筆部の後、筆は空中で連続して縦画の起筆部下方から逆筆で縦画を起筆したのであろうと解釈できます。

風信帖にはほかに二度、「上」が出てきますので、それを次に載せます。
左の「上」は上述した筆順をあてはめてみると、同じ筆順で書かれたのであろうということが分かります。右は「状上」の二字で、すぐ上の字からの連綿で縦画が先に書かれ、その収筆部から続いて右上に筆を運び、そのまま左下方に折り返して横画に続けたものです。わずか三字の用例ですが、空海は上の字から連続する時は、縦画を先に書いているように見えます。

「此」は上の図版では二筆に書いてあります。この字はすでに連載第五回上で習った同じ字体で、筆画の連続がすこし進んだ形です。二筆の収筆部のどちらが右下方に在るかを見ても、筆順は明らかになるでしょう。

「上」 第一画の短横画の後、筆は第二画の縦画を下方から入って逆筆で起筆し、かなりの角度で右下方に向かいます。縦画の右端に青の垂線を引いてありますから、その角度の見当がつくでしょう。縦画の下端近くから左下方に細線で続け、横画の起筆部を逆筆で折り返します。横画はかなりの覆勢(ふうせい)で書いてあり、そのトップは垂線のすこし右です。

「之」風信帖にはもう一つ、この字が出てきます。それを右上に掲げました。姿が全く異なるのは、意識的に書き分けたからです。というのは、今回の最初の図版の2行目「披之閲之」(之〈これ〉を披〈ひら〉き之を閲〈けみ〉するに)で分かるように、続けて同じ字を書くことになったため、あえて別の形に書いたというわけです。青い補助線は第一画の中心を通る垂線です。第二筆の左払いを左回りに書いていることに留意しましょう。右払いに置いた二つの赤い点は運筆の方向が変わる地点です。

「天」
実用的な書体である行書は筆画を連続して書くことが多く、第二画の横画の起筆部に見られるように自ずと逆筆になります。では、第三画の左払いの起筆部はというと、第二画の収筆部から左上方に向かった筆が一瞬、紙を離れ、すぐ左上方に着地し、急激に右上方に上がるや逆筆で折り返して左下方に進んだのです。つまり気脈による連続で生まれた逆筆なのです。縦の青い補助線は第一画収筆部から下ろしたものですが、概形枠のほぼ左右の中心に在ります。

「此」
第一筆は左下方に起筆してすぐやや右下方に転じ、下端近くで右下方に筆圧をかけてから右上方へ撥ねるように運び、すぐ方向を変えて筆圧を加えてゆきます。第二筆の最初の縦方向の画は左回りに運び、下半は右下方に向かいます。第一筆と第二筆との交点に点を打っておきましたが、この点から第一筆の右端までの距離が短くならないように注意しましょう。

「仏」
第一画左払いは直線で書いてあります。左払いは自動的に右回りに払ってしまいがちですが、必ずしもそうではありません(「之」の第二筆の左払い参照)。左払い下端から右に引いた青の補助線は旁の高さを決めるのに役に立ちます。第二画は右下方に筆を入れ、左上方に押し気味に筆を持ち上げましょう。

「法」
三水(さんずい)の第一画と第二画との間で瞬間的に筆は紙を離れているものの、実質的に一筆で書いています。青い横の補助線は偏と旁の高さの位置関係をチェックするための指標です。縦の補助線は旁の縦方向の最初の転折部の左端を通る垂線ですが、二つ目の転折部の左端との位置関係を正確に知ることができます。実は逆に二つ目の転折部の方が補助線よりも左に出やすいのです。偏と旁との間を広く空けていますが、それでも概形はやや縦長です。

次回は、風信帖第一通の中から連続する六字の部分を半紙六字書きの形式に配列した次の手本を学びます。文字は「兼恵止観妙門」(兼ねて止観〈しかん〉の妙門を恵まる)と書いてあります。

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