墨場必携:漢詩 九月尽
23.10.26 東京都清瀬市
陰暦九月は秋の最後の月にあたる。よって九月の末日は秋の最終日として、ことに過ぎゆく季節が惜しまれた。「九月尽」という呼び名で詩にも詠まれた。
「九月尽日於仏性院惜秋詩序(九月尽日 仏性院に於いて秋を惜しむ詩の序)」
『本朝文粋』巻八所収 源順(みなもとのしたがふ)
僕竊以、秋者天時也、惜者人事也。
縱以崤函為固、難留蕭瑟於雲衢。
縱命孟賁而追、何遮爽籟於風境。
僕竊(ひそか)に以(おもんみ)るに、秋は天の時なり、
惜しむは人の事なり。
縱(たと)ひ崤函(かうかん)を以(もつ)て固(かため)と為(な)すとも、
蕭瑟(せうしつ)を雲衢(うんく)に留め難し。
縱(たと)ひ孟賁(まうほん)をして追はしむとも、
何ぞ爽籟(さうらい)を風境(ふうけい)に遮(さいぎ)らむ。
※崤函:陝西河内の要関。崤関と函谷関
※蕭瑟:「蕭」はものさびしい音の形容。「瑟」は楽器。その奏でる音に
なぞらえて、秋風のさびしく凄まじいさま。または秋風そのもの
のたとえ。
※雲衢:雲が往来する空の通路。雲の通ひ路。
※孟賁:『呂氏春秋』に「孟賁は斉人(せいのひと)、よく生きながら
牛の角を抜く」大力の勇者。
※爽籟:さやさやと聞こえる秋風の爽やかな響き。またその爽やかな秋風。
※風境:上空、風の行き交う所。季節の交替に、それぞれの風が行き
また来るという。
23.10.29 東京都清瀬市
思い廻らしてみれば、訪れ去る秋は天の決めた時節、惜しむのは人の理不尽。
たとえ崤関や函谷関並みの堅固な関所で留めようとしても、
過ぎゆく秋の風を空の通い路に留めることはできない。
たとえ孟賁のような大力の勇者に追わせたところで、
どうしてさやさやと無心にさやぐ秋風を上空に留めることができるだろう。
(今日秋の暮れ 最後の日 過ぎゆく秋は留めることができない。)
23.9.17 東京都清瀬市
"秋ガ ユク"