2009年10月 9日

新刊 現代書道の父・比田井天来

カバーss.jpg
新刊ができました。『現代書道の父・比田井天来』です。
天来の作品集は豪華本が何度か出版されましたが、その生涯と作品を手軽に知ることができる本はありません。そこで、一念発起。ビジュアルでわかりやすく、ハンディな本を作ることにしました。





今まで何回も講演をしているし、DVDも作ったので、簡単に書けるだろうと考えていました。でも、いざ書くとなるといろいろ知りたくなり、比田井家に残る書簡や写真、草稿などまで調べ始めて、二ヶ月間、これに没頭するはめとなりました。
そんなことを許してくれた社員に感謝。
というわけで、どんなことが書いてあるか、さわりをいくつかご紹介します。

天来が上京したのは明治30年、26歳のときです。聞き取りにくい信州弁で語る青年は、常識やしきたりなど意に介さず、信じる道をひたすら進みました。書壇や政界にはなんのツテもなかったのですが、次第に認められ、頭角をあらわしていきます。

T5 隷書.jpg天地2メートル38センチに及ぶ作品、すごい迫力です。大正5年、天来は45歳でした。
この年、書道教育界に一つの事件が起こりました。書道の先生になるための文部省検定試験の問題は、前年まで、書道専門ではない学識者が作っていました。ですから筆文字が上手に書ければ、だれでも書の先生になれたのです。
大正5年、検定委員になった天来は、問題に、古典の臨書と鑑定を課しました。つまり、臨書がきちんとできない人は、先生になれなくなってしまったのです。そんなことは想像だにしなかった教育界は大騒ぎ。このときから、書の学び方が変化したのです。文部省を動かすことは大切ですね。

書学院建設趣旨書賛同者.jpg大正8年、天来は書学院建設趣旨書を発表します。上はその時の発起人。犬養毅や嘉納治五郎、松方正義など、そうそうたる人物が名を連ねています。「書学院建設趣旨書」の一部を現代文にしてみます。

 書は昔から東洋で尊重されている。優れた書は、作者の心が芸術的に美化されて点画の中で活躍し、見る人の心と共鳴して高遠な妙境に導き、俗世間から超越できる。さらにこれを学べば、心は霊妙な暗示を得、いかに偉大な感化を受けることであろう。
 一時期書道が衰退した理由は二つある。一つは人間がこざかしく誠意に欠けたこと。もう一つは細かい流派に分かれ、書の大海を忘れてしまったことだ。書の大海とは歴代の古典名品である。ああ、流派はなんと我が文芸に害毒を与えてきたことだろう。今こそ従来の弊害を打破し、書道研究の一大革新をはかる時だ。誰でも歴代大家の劇蹟を閲覧でき、自由に古典を選んで学べる研究所として書学院建設の急務を絶叫するものである。

この後、天来は、書学院建設のために、北は北海道、樺太から南は九州、台湾まで、精力的に遊歴の旅に出ます。そのおかげで、日本各地に天来の作品が残されているのです。

本書ではもちろん、生涯にわたる主要作品をカラーで紹介し、全国の書碑も網羅しました。

明日あたりから、大型書店の店頭に並びます。手に取って見てくださいね。

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