歳末クイズの余談

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前週は不思議な竹1字のクイズでしたが、ほかにももっとありませんか、との声がかかりました。前週のブログにも書いたように、こういうものも、空海の飛白体のように、広い書世界のうちの一領域で、梧竹にとっては至極真面目な取り組みの一部なのです。


梧竹は他の諸々の事がら同様、書体についても既成の伝統を人一倍大切にしながら、しかもそれにはあまりこだわらないという姿勢をみせています。そこにはいわゆる「自我作古/我れより古えをなす」の自信と気迫が感じられます。「梧竹の書はコケオドシだ」とか「梧竹の書はお行儀が悪い」とかいう類の批判は、そこのところが理解できない人たちから出ているのです。

先週の竹もそうですが、有名な「海外飛香」「江風山月」「松竹梅」「寿老人」などもふくめて、いっそのこと思い切っていえば、梧竹の書はすべてが広い意味での雑体書といってもよいと思います。雑体書とは篆隷楷行草の5体のどれかに属さない書体とされていますが、梧竹の書では5体の間のボーダーラインはあまり厳格でなく、パスポートなしでの交通がフリーに開放されているような状況だからです。(厳格でなければならないという理由はミンナが厳格でなければいけないと思っているからというに過ぎません。)

ちょうどクリスマスになりましたので、興味のある方のために先週の竹に関連がありそうなデータをまとめてプレゼントしましょう。いろいろと分析の結果などできましたら、メールで教えてくださると幸いです。

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画像2s.jpg寒を凌いで 花事早し  紅白(一枝、高士)雪中に尋む
閑かに筆底の意をもって 写し出す 天地の心

注1 自我作古 (われより いにしえを なす)
古いしきたりや習慣にとらわれず、自分が最初に新しいことを始めること。南宋の孝帝が、「自分が後世の手本となる古例をつくり出していけないことはない」といった故事から出る。慶応義塾では草創期に西洋文明をいち早くとりいれ、日本の近代化に貢献する気概を示すことばとして福澤諭吉が『慶應義塾之記』に使った。のちに塾長となった小泉信三が工業大学の入学式で「我より古を作す」と題して訓辞したことから、広く用いられることとなった。

注2
寿老人の形をした「寿」など雑体書の趣向は、江戸時代の流行からの名残とも考えられる。榊原悟「江戸の絵を愉しむ」(岩波新書843)などからその風潮がうかがわれる。どちらかといえば俗っぽいこのような領域でも、梧竹の作は俗臭がないところさすがである。


予告
次週は大晦日となるので休載、明年は元旦からスタートします。



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